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「相手の立場に立つ」てなんぞ?

まだ寝てないんかい!って時間に文章を打ち込んでいる分けですが、一つお話を聞いてくだされ。

ただ文章を打つだけではなく、雰囲気を想定してみましょうか。今は夜中です。私は今、深夜2時に文章を書いています。
目の前に木で作られた丸い机があって、その机の上にはランタンが置いてあります。木の色やランタン以外の装飾はご勝手に想像してください。
その机を囲って、私と貴方か、誰かが座っている。タバコを吸っても良いですし、雨の音を想像しても構いません。

雰囲気の想像ができたところで、くだらん雑談をさせてください。
本日のお題は「相手の立場に立つってなんぞ?」です。みなさんもノートを持ってきて考えてみてください。

談義を始める前に、
私は昔から考え事をするのが好きなタイプでして、まあ好きというか、考えてしまいがちな性格という方が正しい気がしますが。
考え事はですね、自分の考えを深めることができる、と思うてます。
考えると不幸になると言いますが、考えることによって真実を生きたいわけです。考えた末に、自身の思うより良い姿を描こうとしている、ような気がします。それが自分のあり方、あるいは世界に望む姿だったりするわけでして、その望みと現状や世界とのギャップが絶望を生みがちですね。あまりにも理想と現実がかけ離れていた場合、なぜそんな環境なのか、さらに考えてみるとより思考が深まります。時に、それは改善をもたらし、ある時は真実に絶望します。ズバリ、その繰り返しが貴方や私を構築していくのではないでしょうか?
だから、人の話を聞くとそれを聞く「私」にも何かしら変化が起きている。貴方も気づいていない変化、かもしれない。
いずれにしても、今日のお話が貴方にとっても考える機会になると幸いです。

私は話を脱線させやすいので、本日のお題について、私の持論を述べようかと思います。

今はどうか知りませんが、私が子供の頃。
まあ今も若造なのですが、、、「相手の立場に立って物事を考えられる人になりなさい」と親か先生かに言われた記憶があるんですね。もうすでに誰に言われたか思い出せてないんですけどね。
ただ、間違いなく親に言われたことがあるのは、「自分がされて嫌なことは人にするな」ですね。
私はこの言葉、全然いい言葉だと思います。ですが!これは鵜呑みにすると実に危ないと中学生ごろには気がついたんですよ。
まあ、まず基本のね、ベースとしてね。一番最初に「自分がされて嫌なことは人にしない」がありますわね。実際、自分が嫌なのに人にしてたら話通じないやんってなってしまいますからね。意外とできてそうで、できてないことでもありますし。
ただですね、自分が話しかけられたくない人間やとして、話すのが好きな人に話しかけなかったらどうなるか?逆も然りですね。
俺がピザ嫌いだから、隣のやつもピザ嫌いでしょう。よし!寿司行こうか!とはならんやんって。
まあ、「自分がされて嫌なことが、人にとって嫌とは限らない」、もしくは「自分が嬉しいことが、人にとって嬉しいとは限らない」っちゅう、よく言うやつですな。

で、ここから「相手の立場に立ちましょうね」になって、一つ大人になろうとするんだなと。
ところが、ですよ皆さん。なんと!これもヤバめじゃない?って。
相手の立場には立つけど、脳みそは私な訳でしょ?
たとえば喧嘩売られた人がいますと、喧嘩を売られた子が内気な子でした。そこで喧嘩強い人が、「いや、俺だったらやり返すどね〜」とか言ったとします。
この人、相手の立場には立ってるんですよ。
でも何一つ汲み取れてないのは分かりますじゃろ。確かに、「私はこう!」って人がいてもいいし、それも個性と言えば流せますが、今回は流さないで思いを吐露して参りましょう。
嫌な思いをした子に対して、なんでやり返せなかったかは誰でも分かる気がするんですね。「あんたやり返さんタイプだけど、あんたが言わんといつまでもやられんで〜」なら私も理解できるんです。意見の伝え方として。
こういうとですね。こういう意見も出てくるのではないかと思います。

貴方は「いや、俺だったらやり返すけどね〜」と言った人の気持ちに寄り添ってない!つまり、相手の立場に立っていなんだ〜!みたいな意見です。
いやね、想像はできるけど、相手を思ってなくねってなるんす。俺ならこうするって言ったところで、責めたように聞こえるし、それ言われたところで、なら僕もやり返しまっほい!とはならんかなと。それならまだ同情がある方がマシ。厳しく言うにしても、効果的とは思えないと。
では逆に、相手の為に「俺ならやり返す」って言う場合で、本当に相手の為に言ってる可能性ってどれくらいあるんでしょうね。話ながら思いましたが、この路線を考えてみるのはそれはそれで面白そうですね。
もし他人がどうでもいいなら、この話はそもそも論外なのですが。
つまり、「相手の立場に立って」って言うのは対して意味ないって思った訳です。

そこから大学生になるまでくらいのところで、相手がどんな人なのか観察するようになったんですね。メガ進化ですね。
もちろんそれでも相手のことなんて分かりませんよ。「君が世界一大切さ」と言った人がいて、それが本心かどうかなんて分かりません。
しかしながら、会話と行動を共にする中で、相手の価値観を想像上で構築し、仮定していく訳です。
相手の立場に立って、相手の脳みそをドカンと自分の頭にぶち込むと。なんかそれだと言い方キモいから、相手の持ってるメガネ(価値観)を作り上げる、みたいなことが重要な気がしますね。
これが次なる世界の扉を開けていく鍵、的なやつなんじゃないかと。

大学の時に、「共感」と「全共感」なる言葉があることを知りまして。多分、全部は無理だけど、ここに近づけていくことが理解を深めることだなと当時感じたんですな。それって私の感想なんです。でもこれって結構大切だと思うんですね。
また例を出してしつけーのですが、同じ映画を見て、男女が泣きました。「あのシーン悲しかったね〜」の悲しいの部分。どこに悲しいと思ったのか、その感覚の近さって分からないじゃないですか。なーなーでもいいけど、実は表面上の感想って、そんなに相手の気持ちとかわからんていう、確かな証明な訳です。無知の知ですね。
もしかしたら、曖昧にして後々、大きな価値観の違いに打ち砕かれる、かもしれない。
こんなこと考えるなんて、神経質なやっちゃなって個人的に自分に思ったりする日々ですな。

もちろんね、めちゃくちゃ嫌な人とかを相手に、過度に自分をすり減らす事態は避けるべきです。その度合いとか、嫌の基準までは分からんですが、自分を保てなくなることは全く望ましくない。
しかし、自分のためと相手のためって常に同時に存在してると思うんですね。どちらかじゃなくて、ターン制なんですよ。このターンを無視した時に人の感情が入り乱れる気がします。
ターンを無視することを許すのが、情だったり、優しさだったり、まあ家族だからとか特定の条件がつくこともありますが、何かをすり減らしている可能性はあるっちゅうことではないかと。

まとめると話あい大事、聞く耳もとう的な内容ですが、世の中には想像も絶する人生経験をしてる人が数多存在すると思いますから。なんならそうなってしまう社会環境ってのもあるかもですから、時に話を聞く余裕なんてないこともあります。そういう時があっても、互いに聞く耳は持った方がええです。自分で一人になろうとする行為になってしまうかもしれません。同じ境遇の人もいるかもしれません。たとえ何か言ってしまっても、ターン制ですから、今はそういう時なんでしょと、

ストレス社会ですからね。でもだからこそ、見つめ直しがいがある気がしますね。


今後、もしかしたらまたこういう思考語りを展開していく、かもしれません。まあ暇な時に、繰り返します、暇な時に。

もう4時やんけ、眠りま、zzz

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