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【謎はいつもそこに】ウグイス

今日は梅林の整備に来た。今まさに梅林の中にいる。
残念ながら今年の梅はほんの少ししか収穫できなかったけど、去年はたくさん実ってくれていたから、梅の木たちには今年はゆっくり休んでもらいたいと思う。

そして長年育ちたいだけ育ってしまった梅林を、今年は思い切って間引いたり、強剪定しなければならない。
剪定作業はついつい夢中になってやって後でドッと疲れてしまうから、30分や1時間でタイマーをかけている。
作業の都合ではなく、時間で手を止めることが大切だと経験から学んだからだ。

休憩を取っていても、やはりトータル2時間もやれば疲れてくる。
そうすると面倒くささと疲れにより、ウグイスの声がいろんな風に聴こえ始める。

鳥の声はずっと聴こえてるけど、今の時期のウグイスは春先からの練習の甲斐あってか、上手に鳴けるようになって楽しそうにずっと鳴いてるわけだ。

「コチュジャン」と聴こえ始めると、ちょっと疲れてきた合図である。
「コーーーー  コチュジャンッ」
もうそう聴こえたら絶対ホーホケキョには聴こえない。
何羽もコチュジャン!と繰り返していく。それを合図にノコギリを待つ手が疲れてくる気がする。
次の疲労段階は「レリジョン」
さっきまであれほどコチュジャンだったのに、ある時からレリジョンに変わるのである。
レリジョンという言葉は、どうやらキリスト教で「神と人間との再結合」という意味らしい。疲労度は瞑想のように悟りに向かっていく。
ここからしばらくひたすら「レリジョン」に聴こえる時間が続く。
そして「レリジョン」10回に1回くらい、合いの手のように「コチュジャン」が入ってくる。忘れた頃に差し込んでくるのである。
「レリジョン」は割としつこく繰り返されるため、疲労と相まって本当に神と再結合しそうになってくる。で、いきなりの「ムギチャ」
は?ってなる。今絶対「麦茶」って言ったよな?って手が止まる。
これが疲労MAXの合図なので、日陰で麦茶を飲むことにする。
休憩してる間もウグイス達は元気に鳴いているけど、その時は8割コチュジャンに聴こえる。

そういうわけでもう疲れたから今日は帰ろうかなと思っている午後4時半。


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