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ディズニー映画『シンデレラ』とジェンダー

 ディズニー映画のジェンダー差別的要素が指摘されるようになって久しい。近年、女性の社会進出が急速に進み、その中で「王子様を夢に見る」だけの受動的なディズニープリンセスは、幼い少女たちに夢を与えるどころか、彼女たちの自発的な行動を妨げるものであると非難の対象となった。

 そこで、本論文ではディズニープリンセス映画の代表作品でもある「シンデレラ」を取り上げ、その作品は子供たちにジェンダー差別的視点を与えるものであるのかを考察する。あらかじめ結論を述べるなら、「シンデレラ」は少女たちに受動的な人生を推奨しているのではなく、自発的・積極的な行動の必要性を説いている。なぜなら「シンデレラ」という物語の核は「目標と忍耐力を持ち、絶えず行動すれば、必ず成果は表れる」というものであり、シンデレラという人物自身も積極的なパーソナリティを備えているからである。


 この結論を述べるために、まず第一章で、「シンデレラはジェンダー差別的視点を喚起する」という通説への疑問を投じる。第二章では「シンデレラ」という物語を考察し、作品を通してどのようなメッセージを伝えているのかを分析し、根拠として提示する。そして、第三章でシンデレラという人物のパーソナリティを作品から概観し、通説との相違点を述べる。以上から「シンデレラ」という作品は、ジェンダー的視点を観客に与えるものではないということを結論で述べる。

Ⅰ.「シンデレラはジェンダー差別的視点を喚起する」という意見への反論

 「そして二人は、いつまでも幸せに暮らしました。」というのは「シンデレラ」をはじめとした、ディズニープリンセス映画のフィナーレを飾る定型文である。王子様との結婚を夢に見て、その夢を叶えることこそが至上の幸福であるといった描き方は、現在では非難の的となっている。「物語の中でその夢が実現するのは他人の力によってである。ディズニープリンセスとは女の子にいわば他力本願で受動的な人生を送るいい見本となっているといえる。」1)という批判は、その一例である。

 これらの非難が起こる理由として、第一に、非婚化が進む現代においては、結婚をしないという選択肢をはじめとした、多様な生き方が受容されるべきであるという価値観が主流であるという理由がある。第二に、女性の社会進出が進み、女性はもはや男性に幸せにしてもらうだけの受動的な存在ではないという考えが広まっているからだといえる。

 確かに、社会の変化に応じて変遷を重ねてきたディズニー映画であるが、近年の「プリンセスと魔法のキス」(2009)や、「塔の上のラプンツェル」(2010)といったディズニープリンセス映画も、決まって結婚という形で結末を迎えている。そのような表現が「女性の幸せは結婚である」という価値観を子供に植え付ける可能性は十分考えられるという点は認めることができる。しかし、その結末に至るまでには様々な過程があるということを見逃してはならない。彼女たちは果たして映画の中で何も行動をせず、ただ受身の姿勢で王子様を夢に見続けてきたのだろうか。ディズニープリンセス映画の代表作品として語られる「シンデレラ」の映画を用いて考察していく。

Ⅱ.「シンデレラ」の物語と「夢」

 「シンデレラ」という作品は、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ製作の長編映像第12作目であり、公開年は1950年である。当時はウォルト・ディズニーも存命であり、彼もこの作品の製作に深く関わっていた。70年前の作品であるため、当時の価値観は現代のものとは異なっていることは容易に想像できる。しかし、この作品は現代でも愛され続け、今でもディズニーを代表する作品としての地位を保っている。

 「シンデレラ」と聞いて、何を想像するだろうか。「可哀想な女の子が魔法でプリンセスになる」といったストーリーに関するもの、あるいはガラスの靴やカボチャの馬車といったキーアイテムが思い浮かぶかもしれない。しかし、実際に映画を見てみると「夢」という言葉が多用されていることがわかる。この夢こそが本作品のキーワードなのである。「シンデレラ」を代表する「夢はあなたの心が作る願い」(邦題:夢はひそかに)という曲名にも、夢という単語が含まれており、「信じていれば夢は必ず叶う」という、ディズニーで頻繁に使用されるフレーズも彼女の言葉である。

 シンデレラは「内容を話せば夢は叶わなくなる」という論理を持っているため、この夢の内容を最後まで明かすことはない。しかし、後に男性(実は王子であるが、シンデレラは気がついていない)とダンスをする際に「これが、私が夢に見てきた奇跡なのだ」と歌っていたことから、「愛を知ること」が彼女の夢ではないかと考察することができる。あるいは、フェアリーゴッドマザーという魔法使いによって一晩だけドレスや馬車を与えられた際にも「まるで夢みたい。素晴らしい夢が叶ったのよ」と口にしており、彼女の夢は「辛い現実から抜け出すこと」であったとも捉えることができる。

 ここで注意するべき点は、彼女は「王子様と出会うこと」や「結婚をすること」を夢に見てきてはいなかったということである。このことから、シンデレラが、ただ王子様や結婚に憧れていただけの存在ではなかったことが理解できる。「おとなしく、かわいく従順でいればいつかは王子様がやってくる、そういうストーリーになっている。シンデレラは自分からは何も動こうとせず、待っているだけの受動的な存在である。」2)といった批判は枚挙に暇がないが、実際に本編を観てみると、これらの批判に対する疑問が生じてくる。

 一方で「愛を知ること」は、王子がいるからこそ叶えられる夢であり、「現状の打破」はフェアリーゴッドマザーの魔法によって叶えられた夢である。つまり、シンデレラ自身の手で勝ち取ったものではない、他者から与えられたものであるという批判が想定される。そこで、彼女の夢を叶えるために活躍したネズミたちの台詞や、フェアリーゴッドマザーの台詞を引用したい。

 舞踏会へ行くことを許可されたシンデレラだが、彼女は舞踏会の場に相応しいドレスを持ち合わせてはいなかった。そんなシンデレラのためにドレス作りを手伝ったのがネズミたちであり、彼らは先ほどの「夢はあなたの心が作る願い」を、アレンジして歌いながらドレスを仕上げていく。「たとえどんなに辛くても、信じ続けていれば、あなた(シンデレラ)の夢は必ず叶う」と歌うネズミたちから、彼らはシンデレラの努力を認め、彼女の夢は叶えられるべきだという思いから、ドレス作りを進めていたと考えられる。

 また、フェアリーゴッドマザーが「私は夢を信じる者の前にしか現れない」と述べていたことからも、シンデレラ自身の意志の強さを評価していたことが伺える。つまり、仮にシンデレラが何も行動をせずに、ただ空想にふけるだけの生活を送っていたら、このようなネズミたちやフェアリーゴッドマザーの助けはなかったということが想像できる。「プリンセスが恋にあこがれ、ただ受け身で待ちつつ願っていたら、奇跡的に叶う。」3)といった「シンデレラ」に対するこのような批判は数多く存在するが、彼女がそのように恋に憧れて王子様を待っていただけの存在であったとはいえないのである。

Ⅲ.シンデレラのパーソナリティ

 シンデレラはしばしば悲劇のヒロインや、受動的な女性の代名詞として用いられる。しかし彼女のパーソナリティを改めて見てみると、積極性が評価される現代においても必要なスキルが数多く備わっていることが伺える。

 シンデレラは夢を持つことで、日々の辛い労働を乗り越えることを可能にしている。それは労働の始まりを意味する鐘の音を聞いた際に「時計ですら私に命令するのね。でも私が夢を見ることは、誰にも止められないわ」とつぶやく事から理解できる。自分自身の夢を心の拠り所として、いつかその夢が叶うと信じ続けていれば、夢は現実になると自分に言い聞かせているのである。辛い立場に置かれていたとしても、現実と向き合い、決して夢を見失わない彼女は、頭は夢を見ていても、足は地についている女性であるといえる。彼女のそのような姿勢から、夢を叶えたいという「目標への強い意志」や、つらい状況を耐えることのできる「忍耐力」、そして自分に言い聞かせることで「高いモチベーションを維持し続ける」といったスキルを伺い知ることができる。

 「チャンスを逃さない」というのもシンデレラの注目すべきパーソナリティのひとつである。王子の結婚相手を選出するために「国中の全ての女性を舞踏会に招く」という通達がなされた際、下働きである彼女は「私にも舞踏会に行く権利があります」と継母に自分の権利を主張した。このエピソードは彼女の行動力の表れであると捉えることができる。ただ黙って辛い現状に甘んじるのではなく、夢を叶えるチャンスが訪れた際は、絶対にそれを逃すことはしないのである。その姿勢はガラスの靴が合う女性を探すために、太閤が屋敷を訪れた場面からも伺い知ることができる。継母の陰謀によって部屋に閉じ込められたシンデレラであるが、彼女は最後まで諦めず、「彼女のことはお気になさらず」と太閤を引きとめようとする継母を制し、見事ガラスの靴を履き、幸せを勝ち取ったのである。

Ⅳ.結論

 彼女の幸せは決して王子から一方的に与えられたものでもなく、彼女はただ自分の身に幸せが訪れるのを呑気に待っていたわけでもない。彼女は自身の絶え間ない努力の結果、チャンスを手にし、見事自らの手で幸せと成功を勝ち取ったのである。「信じ続けていれば、いつか必ず夢は叶う」という彼女が幾度も口にする言葉は、目標と高い意志を持ち続けて努力をし続ければ、いつか必ずチャンスが巡り、功を奏するというビジネスにおける成功の秘訣であると捉えることもできる。この作品を観て少女たちが感じることは「待ってさえいれば、きっと王子様が来てくれるだろう」といったものではなく、「どんなに辛いことがあっても、シンデレラのように夢を持ち続けて頑張ろう」というものではないだろうか。

(3767字)


1)荒木純子(2011).夢と奇跡と自立:ディズニープリンセスの歌にみるジェンダー青山學院女子短期大學紀要.65,1-15
2)李,修京;高橋,理美(2011)ディズニー映画のプリンセス物語に関する考察東京学芸大学紀要.人文社会科学系.I,62:87-122
3)荒木純子(2011).夢と奇跡と自立:ディズニープリンセスの歌にみるジェンダー青山學院女子短期大學紀要.65,1-15


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