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読んだ本を再読すること。

以前に読んだ本を再読すると、再発見することが多い。

前は気づかなかったことに気づいたり、わからなかったことが腑に落ちたり。

時間が経って私が変わったのだろう。

そう思うと感慨深い。

過去や未来ばかりみて今にいなかった私。
育ったところから刷り込まれたものに囚われて、自分を守ることなど出来ず
人のことばかりみてやることを決めていた。
私以外の周りの人の機嫌が大事なことだった。

そこからずいぶん離れられてきた。

私以外の人間のことに振り回されなくなってきた。
右往左往したり、行きつ戻りつするけれど、少しずつ慣れてきた。

私が感じる感情をそのまま受け入れることが出来るようになってきた。
それはされたことのないことだから大変なことだった。そのことさえもわからなかった。

あなたは受け入れられた事も認められた事もなく、安心安全なんか知らずにただ、親を受け入れてるだけ、境界線なんかないですよ。

そう言われても何もわからなかった。

今はわかる。
少しずつ、霧が晴れるようにぼんやりとしたところから、見えるようになってきた。
まだまだ先は長いし、わからないけど、ずいぶん楽になってきた。

私一人をみて、私一人の機嫌や気分を受け入れられるようになってきた。
それはなんて気楽で、気軽なことだろう。

やっと今いるところが安心安全なところだと私が感じてることが理解できるようになってきた。

逃げてここにきた時から、そうなんだと思っていたけど、そんなに簡単なことではなかった。
私はいつもいつも、身体も心も逃げたはずの場所から少しも逃げられてなかった。

トラウマのトリガーを探しましょう
と言われてフリーズした。

私はすっかり平和でいると思っていたから。

全く違うことだった。
私の周りは不安と怖れで溢れていた。

やっと本当に、落ち着いたように思えるまでにずいぶんかかった。
二年経ってやっと自分一人を落ち着かせて、それから夫との関係をやり直して息ができるくらいにはマシになった。

今年の目標は一人で立って歩くこと。
私一人で。
誰かが欲しかった。誰かに認めて欲しかったし、必要とされたかった。
それが自分の価値だと思ってた。

夫が一番の味方で理解者だと思いたかった。
そんなことはないことは知っていたのに。

側から見ればそれは、私のただのわがままと言われても仕方ないようなことかもしれない。
でも、何重にも蓋をしたパンドラの箱を開けてしまったからもう、戻れない。

今も夫と暮らして、依存して生きてるようなものだけれど、もしダメになったら潔く離れる事もできるだろう。

私は私の気持ちを受け入れることが出来るだろう。
他の何かを気にしたり、人の機嫌をみたりしないで、私の中から湧き上がる感情を一番にして、決められるだろう。

そして、そうなりたいと願う。

まだまだ先は長いし、無理なこと、ダメなことばかりだろうけど、それでも諦めずに、なんとか自分に認められるくらいの自分になりたい。

それがどんなことかもはっきりとはわからないんだけどね。

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