螺旋階段を登るように変わっていく

ぐるぐると廻る螺旋階段。
私もぐるぐると廻ってる。

同じところをぐるぐると廻ってる様なものだけれど、少しずつ上がってるはず。

そんな気分だ。
無理だ、駄目だ、無駄だ、我慢だと
ことごとくいろんな事をうんざりした気分で眺めていた。
そして目の前に恐ろしい事態が積み重なり動けずフリーズしていた。

何度も同じような事を繰り返す。
そして、慣れていく。

以前よりマシになっていく。
同じ事を前より楽にやり過ごせる。
自分を前よりしっかりと守って過ごせる。

焦らずに、見捨てずにボチボチ少しずつやっていく。

そうしてるうちに周りも変わってくる。

そんな風にゆっくり時間をかけてやっていく。
これまでなら、自分のことなんかそっちのけで周りのことばかり見ていた。
穏やかに平和に過ごすためには周りが安全でなければ無理だから。
周りに安心がなければダメだから。

そう思ってた。
そんなことは無かった。
最後に頼るのは自分しかないとやっと思えるようになった。
誰が自分より大事にしてくれるだろう。
誰が私より私を理解してくれるだろう。

そんな事をやっと腑に落としてはっきり自覚出来るようになった。
それは私にとっては大変で、長いことかけてしか理解できないことだった。

夫にイライラして我慢ならない気持ちは投影とか言われても訳はわからない。
境界線が弱いからすぐ自分のことのようにいろんな事を恐れて、たまらない気持ちになって疲れた。
自分は無価値、自責、虚無で潰れかけてた。
私が苦しいから周りの人も苦しいと思う。
私が生きにくいから子どもも生きにくいと思ってた。

会う人にいつも良い人でなければいけないと思ってた。
いつも笑顔でいい感じにならないと悪だと思ってた。

そんな事はどうでも良い事になった。
なんで私ばかりが周りの人間に気を遣わなくてはならないのか?
不機嫌をそのまま出したらいけないのか?
それは私が育った場所のせい。
それだけだった。

そんなものは捨てて良い。
関係ない事だった。
親も祖父母も自分たちを棚に上げて好き勝手に子どもを翻弄するだけの愚かな人たちだった。
それでも恐ろしくて、平和が欲しくてただ一人で必死で頑張ってた。
その延長に私の家庭があった。

もう、やめようと心から思える。

私が私を認めて、穏やかに平和に生きるためには、これまでの癖をやめていくこと。

慣れなくて、難しくて、疲れるけど
私は私を守ってやっていく。

人がどう思っても、それは私には関係ない。

相手が思う事は相手に。
私が思う事は私に。
それだけ。

だから嫌な事なら逃げても良い。
私が無理だと思うならやらなくて良い。
そう、何度も自分に言い聞かせる。
そして自分を責めないで、ただそのまま眺める。

良いとか悪いとかは関係ない。
ただ自分の気持ちがどうなのか、それだけをみる。
そしてその気持ちを大事にする。

夫だろうが子どもだろうが、親だろうがそんな事は関係ない。
私が私を守っていく。
それだけのこと。
誰も教えてもくれないし、守ってもくれなかった私がこの歳になって初めて心の底から思うこと。

小さくて、か弱くて、惨めで、愚かな私を誰よりも大事にすること。
私の気持ちを一番に認めてあげること。
それだけを優先すること。


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