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小さな私に声を掛けてみる。

今日は1ヶ月半ぶりのカウンセリング。
前回から色々あった。

どうでしたか?と言われて

つるんと脱皮したみたいに気楽になりました。

といったら笑われた。

人との関係性をみてみたら、やはり私の生育のためにそうなってるという複雑なところがあるんだろうと

幼い頃の私に声をかけてみてくださいと言われて話しかける。
多分8歳くらいかな。

何か言ってますか?
と聞かれても、その幼い私は何も思ってはいない。
親にこうして欲しいという希望もないし要望もない。
こんなこと言われて嫌だとか傷ついたなんて事も思いもしない。
わからないのだ。
親はいつもいつも困っていて大変で自分たちのことで精一杯で私にはして欲しいことばかりしかない。
私の声を聞くなんてことできるはずもないことを私は十分すぎるほどわかっていて、親に言うことなどないのだ。
できない事を言っても無駄だし、疲れるだけ。傷つくだけ。何もしない方がマシ。何か言えば面倒なことが増えるだけ。
私は本当に親に助けを求めたことなど無いのだ。もっと大変なことになるだけのこと。私をまだ自分たちのために使うことしか考えないのだから。

幼い私にはずっとわかってた。
うちの大人たちに、四人もいる大人たちに何を言っても碌なことにはならない事を。
幼い子どもが頑張って何をしたとしてもそれを認めたりすることなく、自分たちの思うようにやることしか認めたりしない事を。
だからいつもいつも人の顔色と機嫌ばかりをみていた。自分の気持ちなんかみても仕方ないし暇もない。
だからいくら聞いてみたって幼い私は
自分の気持ちなんか話せない。
聞いてもらったことがないものを吐き出すことなどできないし、わからない。
それだけははっきりとわかった。

だからカウンセラーにいくら聞いても幼い私は答えられないし、わからないとしか言えなかった。

それは本当は不幸というものなのだろうとも思う。
幼いわがままをいってもおかしくもない子どもが何もいうこともないことに。
親が祖父母が平気で子どもを傷つけて、自分たちの思うような子どもであることしか認めない、そんな家庭がどんなに不幸で恐ろしく、安全も平和もないか。

私はあの家で安心して平和で穏やかだったことなどないのだった。
いつも抑圧して、感じない方が良かったから。
平気で親は私のことを可愛げのない子だと言った。
すぐ熱をだし、吐き、弱い。
嫌なことはすぐ顔に出して父親とそっくりだと。
選ぶ服が変だと。
そんな服着て外を歩くなと。
普通にいるだけで何がそんなに楽しいんだと。

母は自分が不幸で人に大事に扱われないからと、平気で自分の子どもを同じように扱った。
そして妹達と差別し続けた。
あんたは長女なんだから。
あんたはお姉さんなんだから。
そんなことくらいできるでしょ。
なんでも出来て当たり前。

妹達はできなくてもいいのに。
すぐ助けるのに。

私は別物だった。

それはわかっていた。
でも、それでいいと思ってた。
不幸で寂しい母が幸せになるには私が頑張るしかないのだと。
だから何を言われても何をされてもわからなかった。
それがどんなことなのかなんて。
何があってもそれは当たり前だったから。

客感的にみたら違うだろうが、当事者にはそんな視点はない。

私も他人としてみたらわかったかもしれないが、そんなことは出来ない。
私は私でしかないのだから。

離れてやっと見れた幼い私はそれはそれは可哀想で哀れで惨めな子どもだった。

無邪気でおしゃべりで好奇心旺盛なオシャレ大好きな女の子だったはずの私は
母のおかげで 強くて鈍感で何があっても動じないバカみたいな可愛げのない服の趣味の悪い女の子にされた。

それが平和で一番いいと思ってた。

周りの気持ち悪い人間の悪口を垂れ流しながら、その人間とうまくやれと平気で命令していた母。

自分は自分の好きなように勝手な自己満足な苦労を私に見せつけて、自分のことを助けろと言い続けた。

死んだら泣くだろうけど、だからといってもう二度とあなたのことを助けようなんて思わない。
もうやることは十分やった。二度と私の人生に関わらないで。
そう思ってる。
いくら話してもわかることもないだろうし、それは仕方ないとわかるけど、だからといって許してまたやり直すなんてこと二度とない。
もう二度はない。

子どもの私には、何もわからない。
私も何もうまく言えない。
ただただ、もう良いんだよ。何もしなくても良いとしか言えない。
そんなこと言っても子どもの私は理解できずに 何いってんの?というだろう。

まぁ、ぼちぼちと時間をかけて、少しずつやっていく。
やっとなんとか今の私が落ち着いてきたのだから、焦らず、先を見ないでやっていく。

やっと、少し長く囚われてた物を手放せた感覚がある。
こうなってからずっと自分に言い続けた言葉が、やっと私の中に浸透してきて実感になってきた。

私は悪くなんかない。
私は大丈夫。
なるようになる。
何かあってもその時に考えれば良い。

そんなこと、きっとみんな当たり前にわかってる。
だけど、私にはわからなかったし、そんなことはありえないことだった。
それは私の癖。
そうでなければ生きられなかった私の思考の癖。

やっと、少し離れたところから見られるようになった。

時間はまだまだかかるだろうけど
身軽になった分だけ一日が早く過ぎていく。
今日が終われば、また新しい一日が始まるだけの繰り返し。
延々と続く苦行のような日々はすっかり遠くになった。

時間が経てば変われます。
そういったカウンセラーの言葉をしみじみと思い出す。

何もしなくても、何もなくても私は私なんだと、深呼吸しながら思える自分に感謝。

今日もまた新しい一日を過ごす。

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