talkin' about Ayako Wakao 7
The edged age '60s (3) 歌詞和訳/Into The Mystic
濡れた二人
(増村保造監督/1968/大映)
夏の終わり、女がひとり漁港のある町にやって来た。仕事にかまける夫・哲也(高橋悦史)の気持ちが、随分前から離れている思いを胸に。(その勤務先では部下の女の影もちらつく)。宿泊先は、かつて実家の使用人だった勝江(町田博子)の家。海辺から騒がしい夏の人出が消えた淋しさに包まれている。
高度成長期の都会で哲也は多忙だ。テレビ局員という役ふりが、映画産業の衰退期にあって、シニカルな設定になっている。妻・万里子(若尾文子)も仕事を持つ身で、子どもはまだない。DINKsの先駆けのようなすれ違いからか、夫婦の仲はしっくりした季節をとうに離れている。
都会からやって来た年上の女に、田舎暮らしでのモヤつく気持ちを持て余す青年・繁男(北大路欣也)は万里子に一目で吸い寄せられ、若い情動のままに近づこうとする。遊び仲間の京江 (渚まゆみ) と昌夫 (平泉征) は好奇と反撥の感情で、土地にそぐわない洗練された万里子を遠回りにねめつける。
地方から大学へ進学し得なかった幼い頃からのダチ仲間。刺激の足りない生活に苛つく若者が発散するのは、バイクをぶっ飛ばすことぐらいだ。この時代のお決まりの情景シーンの流れにあって、渚まゆみ、平泉征のギラついた眼色は、ある青い時代の存在を主張しているかのようだ。
Summertime Blues (The Who/1970)
(song by J.Capehart & E.Cochran)
(youtube)
仕事が一段落したら合流すると約束した哲也はやって来ない。勝江にすすめられて夫へ連絡するも通じなかった。後から、明日行くとの電報が届いたが、当日になっても夫は現れない。
夫との若い昔を少しでも引き戻したいという僅かな芯が、残暑のなかで不信と別れの予感へ溶け出していく。
そこにかろうじてあった理性に、繁男が青春の熱量を浴びせかけてくる。真っ黒に日焼けした顔に直情的な視線で万里子に絡んでいく、アニマル性剥き出しの言動はコミカルでもあるが、、、
翌日、繁男と海に出た万里子はその熱情を受け入れてしまう。馴れていると思っていても、男女の断層はそんなタイミングでずれるのか、遅ればせながらその夜、夫は勝江の家へ迎えにきていた。
翌朝帰京のバスを待つ夫婦を追ってきた繁男は、二人の周りをバイクで激しく旋回する。砂漠を行く幌馬車を威嚇する、ネイティブアメリカンの族のように。
巻き上がった砂塵がおさまった後には、万里子だけが立っていた。
登場人物たちの心理と行動の噛み合わない展開を、スピーディーに切り取っていく監督の力量が発揮されたシーン。
しかし勝江の家に延泊したその夜、訪問を約した繁男は、庭の木陰に潜んだまま、万里子に近づけない。夏の終りの激しい雨に打たれて、離れの部屋で寝支度した万里子を見ながらも躊躇する。とうとう繁男は万里子の愛の海に入りきれなかった。
海でずぶ濡れになり、男(繁男)を受け入れた女(万里子)に対して、雨にずぶ濡れになり退いた男(繁男)のシニカルな対比。激しい雨は、芯からの “愛を乞う女” が繁男に与えた試練だったといえよう。
体熱を奪われ、怖じ気に震えてしまった若者は、周囲の期待に合わせて結局は網元の娘・京江と結ばれるだろう。やがては実家の水産会社を発展させ、地元の有力者への道を行くだろう。それは高度経済成長期の日本で、中央と地方の違いこそあれ、男社会でのし上がるべく欲の炎だけは、皮肉にも消しようのないものだったろう。
The Thrill Is Gone (vo./Chris Connor/1955)
(w./L.Brown & m./R.Henderson)
(youtube)
宿命の女神の行方
万里子にとって自分の愛慾に応えられず、女の心底で燃え続ける火から、怖じける動物のように眼を逸らす男。自分を去った夫もかつては青年と同じであったし、青年もいつか夫のようになる。一時の情事は過去の愛慾の追体験にすぎなかったと知る。そんな、男と永らえることのできない自己の発見。“愛を乞う女” は “愛の独歩者” という最終形に到達したのではないだろうか。若尾文子、映画女優時代の終局に相応しい作品と思う。
*キネマ旬報年度ランキングでは39位と、増村&若尾の作品としては、世間的に低評価だったが、個々人の抱える愛慾と時代との交錯を切り撮った増村保造の批評性は鋭い。
(若尾は同年、他の2作品と合わせてキネ旬女優賞となりましたが)
独り町を去る万里子は、バス停で秋風を感じながら、「もうじき冬ね」と呟く。彼女には穏やかな季節はめぐってこないかの予兆。
ひりつくような乾いた風に吹きさらされる “愛の砂漠” が視えていたのか。
Calling You (vo./Jevetta Steele)
( from🎦Bagdad Cafe/1987)
(youtube)
経済成長のシンボルとしての、馬鹿騒ぎの祭り(70年万博)の裂け目に消える60年代を、
“女優” 若尾文子はスクリーンに蒼白き影を遠く残して、在るべき映画の世界を立ち去った。
女優 “若尾文子” とは、魅了されし男をエロスの海に溺れさせる、“宿命の女神” であったようだ。
Fin Fin fin fin ……………
Into The Mystic
(song & vo./Van Morrison/1970)
(youtube)
*恐れ入りますが、原詞はネットで閲覧くださいませ (_ _) 。
Into The Mystic
ぼくらは風よりも前に生まれた
むろん太陽より若かったけれど
予め授かった愛らしい小舟を
神秘の世界へ漕ぎ出した
聞いてごらんほら、船乗りの叫びを
海の匂いをかいで、空を感じて
さあ君の心のすべてを解き放つのさ
神秘の世界へと
そう、あの霧笛が鳴り響くとき
僕は戻ってくる、そうさ
あの霧笛を聞きたい、すぐにでも
怖れることなんて何もない
さまよう君の心を揺さぶりたい
あの懐かしい日々に帰るように
ぼくらはゆったりと漂いはじめる
神秘の世界へと
分かるだろう、あの霧笛が鳴り響くとき
僕は戻ってくるよ、そうさ
霧笛の呼び声が聞こえたんだ
怖れることなんて何もない
さまよう君の心を揺さぶりたい
あの懐かしい日々に帰るように
二人で漂っていくんだ、神秘の世界へ
さあ、おいで…………もう止まれはしないのさ
(訳詞/杜村 晩)
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