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Power of Voice 4 藤圭子☄️夢は夜ひらく

歌詞和訳/God Bless The Child

“演歌の星”のコピーがついた1stLP
収録された歌は、ほぼ歌謡曲の名作カヴァー
ですが、元曲を超えるほどに
自身のスタイルで歌いきっている感!


8月22日、藤圭子さんが亡くなって十年を迎えます。その時、私は東北ひとり旅の途上でした。一軒宿に到着後の部屋のTVで、西新宿のマンションから投身されたニュースを見たときのショック。床についても、旅館の傍らの川音が、頭の中を流れていた記憶が今も残っています。

1969年のデビュー当初からその声と歌唱に魅了され、EPやLPレコードを買っていたやな。洋楽リスナーだった自分を魅了したデビュー曲は、それまでの演歌のイメージを壊した、ロックなんだと感じたわけで。

新宿の女(1969)
(詞/石坂まさを,みずの稔/曲/石坂まさを)

                                          (youtube)

「バカだな バカだな だまされちゃって/夜が冷たい 新宿の女」
キャッチーでパンチの効いたサビで圧倒する彼女の存在感。

デビューシングル

さらにカップリング曲も、いやはやこれもいいんですわ。(ジャケットからして両A面という感じですから)

命ぎりぎり(1969/詞曲/石坂まさを)

                                          (youtube)

捨てばちのテイでありながら、”いつか花咲く夢” だけは捨てず、懸命に今を生きて命を燃やす。このデビュー盤がオリコン9位までだったとは、いやはやなんとも。
次のシングル “女のブルース” は1位になったがな、演歌ジャンルにありがちな言葉の羅列は、彼女の歌唱力に “すがる” ばかりの曲だったけれど、もはやブレイクの勢いってことでしょう。まだ18歳、北国産のこけしのような面影を超える声と歌に、ファンは皆んな惹かれたと思いますわ。

3枚目の “圭子の夢は夜ひらく” は藤圭子最大のヒット曲となり、彼女のイメージ定着が始まった。
*1966年に曾根幸明が採譜作曲した “夢は夜ひらく” は、園まりをはじめ多くの歌手がリリース(競演)した、各社同曲異詞の大人の情歌でしたが、、、
藤圭子の師であり、デビューから作詞作曲、プロデュースを手がけた石坂まさをが書いた「十五、十六、十七と/私の人生暗かった」というフレーズに聞きほれる人は、そこに歌手の実人生を重ねがちだけれど、、、


岩手一関に生まれ、北海道で育った藤圭子。浪曲師の両親に連れられた旅回り興行で歌うことで、幼い頃から無意識にアイデンティティを感じていただろう。ほぼほぼ貧しい生活しか想像できない小中学生時代は、温泉場のホールや祭りのステージで歌った 。プロ歌手の代役に立った歌謡大会での歌唱を認められ、上京するのだけれど、あのフレーズに歌われる少女とは違い、厳しい生活であっても、成功しようとする希望は (プロとして稼げる歌手になる) ギター流しで歩く飲み屋街の灯りよりも輝いていただろうやな。
むしろ歌中のキラーフレーズを誰かに重ねるのなら、“新宿”という夜の街にあって、母子二人の苦しい生活を送ってきた師・石坂が、その年頃だった自分の心情を藤圭子の歌声に仮託したのでは、と想像してしまうのですが、、、
そのルックスと陰りを秘めた歌唱のギャップをセールスポイントにしようとする、制作側の方向性と見事にシンクロした。

京都から博多まで (1972)
(詞/阿久悠/曲/猪俣公章)

                                           (youtube)

石坂まさをの一連の作品から代わって、阿久悠の作詞によるこの曲は、藤圭子の世界を一段と拡げたと思います。だけ当時、同じ世界を生きる歌手(前川清)と結婚し、翌年には離婚やら、成育環境 (貧しさの) をフレームアップするメディアによういじられたわな。また、他の作家が提供し始める曲が続くも、制作側が彼女のイメージを囲い込み、唯一無二の声と歌唱をグレードアップする新しさを打ち出せなかった。(様々なヒット曲のカヴァーを入れたアルバムを出していけば、十分商売になったということかな)

命火(1974/詞曲/石坂まさを)

                                            (youtube)

デビューから5年後のこの曲は、再び石坂まさを作品。自分の来し方を思い、生き方を自問する。あの声で歌われる歌詞は平明であるのに、何か深いんですね。デビュー以前、石坂の家に住み込んで築かれた師弟の世界観が、見事に表現されているやなし。
しかしその後、低音から高音まで掠れを含みながら伸びる声質が、ポリープ手術によって変わったことで、感情を乘せることにモヤモヤした違和感があったと、引退間際の藤圭子へのインタビューのみで構成された 「流星ひとつ/沢木耕太郎/著」の中で語られていたと記憶しています。(当時は発表されず、30数年の時を経て刊行)

知らない町で(1971)
(詞/石坂まさを/曲/曾根孝明)

                                           (youtube)

1979年12月、今はなき新宿コマ劇場で引退公演後渡米、その後結婚し、歌手活動も再開した。もう一花咲かせることは叶わなかったけれど、宇多田ヒカルを生み育てました。新しい天才シンガー (自分で稼げる子) の母として一時注目されたがの、、、2013年3月に師匠が亡くなってから5ヶ月後、昭和歌謡史に彗星の輝きを残して現世を去ったやな。


God Bless The Child (1941/vo./Billie Holiday)
(song by B.Holiday & A.Herzog Jr.)

                                           (youtube)

*恐れ入りますが、原詞はネットで閲覧くださいませ (_ _) 。


God Bless The Child


自ら得た者にはさらに得させよう
そうでない者はさらに失うだろう
そうバイブルに書かれていたけれど
それって今さらに知らされる事なの

ママは持っているかもしれない
パパは持っているかもしれない
だけど神様 その子に祝福を
稼ぐ子に 自分で稼ぐ子に

そうよ、強いヤツって上手くやるし
弱い人たちはいつの間にか姿を消してしまう
すっからかんじゃ ちっとも良くなれないし

ママは持っているかもしれない
パパは持っているかもしれない
だけど神様 その子に祝福を
稼ぐ子に 自分で稼ぐ子に

お金よ、たくさん友だちができたのも
玄関の周りに群がるように
でも調子にのって使い果たした時には
誰も寄りつかなくなるわ

リッチな親類がくれるのは
パンの切れ端くらいなもの
恵んで貰いたいなら好きにして
でも取りすぎないようにね

ママは持っているかもしれない
パパは持っているかもしれない
だけど神様 その子に祝福を
稼ぐ子に 自分で稼ぐ子に

ママは持っているかもしれない
パパは持っているかもしれない
だけど神様 その子に祝福を
稼ぐ子に 自分で稼ぐ子に

なにも気にやむことはありゃしない
そうよ、あの子は自分で稼ぐから


                            (訳詞/杜村 晩)

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