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イタリアその7

イタリアでは、自分の年齢を自虐する必要はない。
自分の年齢を悲観している人は私が見る限り多数派ではないと思う。
日本では50代は立派な「おばさん」で、それを自虐することがコミュニケーションの潤滑油になったりする。
同世代同士ならそれは笑いにもなり大いに盛り上がるが、若い世代に対してわざわざ自分をおばさんアピールする必要はあるのだろうか?
もちろんしたい人はすればいいし、したくない人はしなくていい。
人それぞれ、生き方はそれぞれでいいと思う。

そう思った私は、今後年齢に対する相手の方へのリアクションを改めることにする。
「見えません!」という言葉は、たとえ本当に実年齢より若く見えて、どうしても言いたくても今後私は使わない。
実際に若く見える方が多い日本で、褒め言葉として多用してきたが、イタリアで同じテンションで「もっと若く見えます!」と言って喜ばれたことはほとんどない。
バカにされていると思った方もいるかもしれない。

全世界的に受け入れられるのは「〇〇さんのような素敵な〇〇歳になりたいです」だと私は思う。
年齢は重ねるものだ。
重ねて熟成させて今の自分があるのに、まだ今より未熟だった過去の若い時の自分の年齢みたいと言われても複雑な気分になる人もいるだろう。

別に何歳に見られようと私は構わない。
清潔にきちんと身なりを整えて、自分の好きなファッションを楽しんで、時に濃ゆいメークをしてもほぼスッピンでもいいではないか。
というのは自分自身に対しての自分からの応援の声だ。
私は昨年コロナに感染して以来、顔はふっくらしているままだが、体はガリガリに痩せてしまい、恥ずかしくてもう温泉や銭湯に行けないと悩んでいた。
一気に痩せたのでシワやたるみがひどい。
「私は70歳です!」と銭湯で言えば、たいていの人は信じてしまうだろう。
でもそれはそれ。
また太って元に戻るかもしれないし、戻らないかもしれないし、体のことを気にして悩む時間を他のことに当てたい。

イタリアの高齢女性たちはおしゃれだ。
夏はワンピースを着て、アクセサリーをたくさんつけて、マニキュアをしっかり塗っている。
冬は赤や青などはっきりした色の素敵なコートを着て歩いている。
もちろんそうでない方もいらっしゃるだろうが、私の視野に入る方々はそういう方がたくさんいらしたので、私はその方たちを目標にしたいと思っている。

私は自由だ。
憧れたい方たちに憧れてワクワクしていいのだ。
綺麗な方たちにももちろん憧れる。
でもそこで不要なことは、その方たちと自分を比べて落ち込む時間だ。
過去の未熟な自分より成長したかどうかだけ気にしてればいい。
それがわかるのは自分しかいないのだから。

さて、夕食だ。
スライスされているお肉1パックを切らずにそのまま沸騰した水で茹でる。その際必ず塩と白ワインを入れる。
別で、常時冷蔵庫に入れているプチトマトと玉ねぎとにんじんを適当な大きさに切って、水を入れて沸騰させアクを丁寧に取る。コンソメを投入し、コトコト煮込んでスープを作る。
最後の5分で茹でたお肉を一食分、スープに投入し、塩と胡椒で味を整えてできあがり。
器によそってオリーブオイルを少しかけていただく。
今日は数切れのパンと共に。
残ったお肉は粗熱をとって、冷蔵庫に入れる。

食べることは生きること。
食べられることに感謝して、感謝できる自分にも感謝したい。

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