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人生の長さ

長生きをしたいことが前提で話されることがあるが、毎回違和感がある。長生きはあくまで手段であり、何かをするために長生きが必要なのであれば理解できるし、結果的に長生きしたのであればいいのだろう。しかし、長生きが目的になることはよくわからない。それはあくまで価値観の違いだろう。

長生きをして何をするのか。長生きと今の何かを天秤にかけるとして、それは長生きをして行うこととどちらに重きを置くのか。

長生きをするなというわけではなく、そこまで長生きを望んでいない人もいて、長生きを望むことが当たり前という風潮を見直してほしいだけだ。

余談だが、そもそも現代日本社会の構造は、60歳~70歳後半程度を寿命として作られている。だから定年は概ね60歳だったし、年金や医療保険などもそれなりに機能していた。ざっくりと分けて、青少年として成長する期間が約20年、働く期間が40年、老後が20年というのもバランスがよかったのだろう。すでに平均寿命が90年に迫ろうという現代において、経済面での環境変化を考えるまでもなく、システムが崩壊することは当然であり、再構築する必要はあるだろう。

よくドラマや伝記などで人を惹きつけるのはやはり戦国時代だろうか。その頃の平均寿命は40歳に満たないとされる。あるいは、幕末も人気だろう。諸説あるが45歳前後くらいとしよう。

こうした時代、こうした人々がなぜ私たちを惹きつけるのか、なぜ熱量高く行動できるのか。一つの要因として寿命があるのではないかと思う。80年かけて燃やす命の蝋燭と、40年かけて燃やす命の蝋燭は、どちらが強く燃えるのだろうか。
また、自分の死というものが現代よりも近かったのではないか。戦い、病、衛生環境など、今よりも死に近かった、より生活の中に死の可能性が感じられた時代。その一つの数値が平均寿命に出ている。
目の前に死があり、そのため自分の命をどう燃やすかの意識がより強かったと推測される。

繰り返しになるが、別に短命であること、長生きしないことを推奨するつもりはない。しかし、生き方は自分で決めさせてほしい。別に細く長くなくとも、太く短くでもいいじゃないか。

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