汎人類主義の歴史観(西洋)

 我々にとって、理想的な時代・国家とは「初期共和政ローマ」である。これは、寛容性(クレメンティア)や程よい階級社会、自治の幅広さ、国民の高い規範順守意識、そして何より他の都市国家との同盟による領域国家化である。これは、我々汎人類主義者の主張する新国家 神州帝国連邦の理想とおおよそ合致する。故に、上記の通りポエニ戦争以前の共和政ローマこそが我らの理想となる。
 しかしポエニ戦争以降ローマは帝国化し、民族に上下を付け始めた。そして、ついには正真正銘の帝政ローマとなり、後の欧州諸国のベースとなった。これにより、我々の求めている寛容性は失われ、ローマは一部の民族が優遇される「民族国家」となってしまった。
 そして、西部ローマがゲルマン人によって乗っ取られた後、かつての帝国の跡地には数多の民族が国を興し、滅びていった。いずれの国家もかつてローマが持っていた寛容性など有していなかった。故に、自身の民族の利益を最大化するために隣国へ攻め入り、他民族を屈服させていった。
 その後フランク王国が起こり、その分裂体から神聖帝国とフランス王国が産まれた。神聖帝国は、ローマ教皇から冠を頂き、「ローマ帝国」を自称したが、ローマ教皇にそのような権限などないのは歴史的に明らかな事実である。ローマ帝冠を有するのは、当時のコンスタンティノープルを首都とするローマ帝国ただ一つ。これは、神聖帝国とローマ教皇が月桂冠の簒奪者に過ぎないことを意味する。ローマの統治者とは、ローマ第一の市民でなければならない。この原則は、政体に関わらず「ローマ」であるならば守られるべきものである。
 その後、世界には数多の国が興った。ポーランドやオーストリア、ロシア、ドイツなどである。だがしかし、いずれの国家も1~2の民族が圧倒的な特権民族たる「民族国家」であった。結局のところ、かつてのゲルマン人達と同じように彼らは自民族の利益の最大化を第一に掲げ、二度の世界大戦に突き進んだのである。
 我ら汎人類主義者にとって、民族国家とは自民族の利益の最大化を目指し、いずれ大戦争を引き起こすものであると解釈している。だがしかし、勘違いしてほしくない点として、我ら汎人類主義者にとって、愛国は罪ではない。これは、「愛国とは自身の生まれた地を好きだと思う感傷に過ぎず、他民族の文化や風習を貶めなくても実現可能なもの」であると考えるからだ。

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