「忘れられた」参議院選挙の行方と安倍氏の行方、日本の行く末


弱体化し分裂してしまった野党を目の前にして、選挙で自公政権が圧勝することをもはや誰も疑うことはない。大局はおおよそ、選挙前、もとい安倍氏襲撃事件前から決していた。それでも、この日本や世界情勢を憂えて、多くの人が現政権を支持あるいは反対するために、もっといえばあらゆる「期待」「怒り」をこめて、投票所に足を運んだ。

私はこの夏、はじめて「投票立会」という仕事をした。詳細は守秘義務があるので語れないが、投票所内での「 投票事務の執行に立ち会い、公正に行われるよう監視」(総務省HPより)する仕事だ。老若男女問わず、多くの人がやってくる。とはいえ残念ながら「若者」はやはりなかなか来てくれない。期日前投票の期間中、この仕事に2回携わった。

一度目はごく普通の投開票日前の雰囲気だった。もちろん、世論はウクライナ問題に関心があるとはいえ、開戦初期のような雰囲気はない。国内の政治やコロナ禍に対する不満をぶつける場として、やはり国政選挙は他の地方選挙に比べて関心が高いというような話を選挙管理委員会の方とたくさん話した。しかし、二度目は話題がコロッとかわってしまった。安倍氏襲撃事件の翌日だったからだ。衝撃だった。事件当初は詳細がわからず、仕事の場でも「言論の封殺」というテーマを主として話が進んだ。同時に、選挙を管理する場を仕事として選ぶ人たちは当然政治への関心が高い。時には安倍氏の政治的な立ち位置への批判や、それでも暴力への絶対的な反対意見などを交わした。ここで参議院選挙は「普通」ではなくなったと私は感じた。安倍氏が遺したもの、それは「隠してしまった」(とされる)ものというネガティブな意味でのものと、外交手法にように「秘伝のたれ」としてのポジティブな意味でのものについて関心が高まってしまい、現政権の政策や野党をはじめとするマニュフェストなど、未来志向的な語り場を狭めることになるからだ。選挙戦では普通、「絵に描いた餅」をいかにおいしそうに見せるかを競う場である。

元首相とはいえ、一個人の精算というのは選挙戦で最優先になされることではなく、またその者がどれだけ秘密主義的であろうとも、語るための口を失った以上はもはやある意味歴史学的手法をとらざるを得ない。ここで「普通」の選挙ではなくなった。結局、何が真実であるかは本人にしかわからない。それは安倍氏をはじめとした保守タカ派が目指そうとした日本の行方と、その過程で生まれたある種の分断、そしてあらたな火種となるであろう宗教との関係性についてもである。(文責:U)


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