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高校生の時に留学した話

留学したことあるの?と聞かれて、
正直に、「高校の時に留学を経験したことがある」と答える。
しかし、私は英語が流暢に話せるわけでも、
読んで全てを理解するほどの力はない。
今まで必修のクラスやらで一緒になった人は、
私が本当に留学を経験したのか、疑うと思う。
今日は纏まりないの文章で、留学した時のことを振り返ってみる。

読んでくれた人に先に伝えたいことがある。
同情してほしくて書いているわけではない。
もし、少しでも不快に思ったら読まないでほしい。

これは過去の話、もう戻ることはないので、
反論など何と言ってもらっても構いません。

留学とかについての経験を語る際に
モヤモヤするようになった。
本当は話すつもりはなかったが、
少なくとも私と良く話す友達には、
知ってもらいたいことではある。

私はとある私立高校の留学クラスに入学した。
留学クラスでは、アメリカ・カナダ・イギリス・オーストラリアの4カ国の中から留学する国を選ぶことができる。期間は1年。
私はイギリスを選択し、高校1年夏から高校2年夏までの約11ヶ月間、留学したのだ。

8月半ばからイギリスでの生活が始まった。
私は、子供4人いる6人家族にホームスティすることとなる。家はとても大きく、私のために用意された部屋は大きかった。

現地校には、私以外に2人通うことになった。
1人はわたしのクラスメート、もう1人は他の女子校の生徒だった。

長期期間の留学生活は初めて、最初の2〜3ヶ月はなかなか苦労した。
現地校で同じ授業をとる人と仲良くやっていた。
ロッカールームで話をしたり、歌を歌ったり楽しくやっていた。
現地校のタレントショーに出て、日本の曲をアカペラで歌った。私が音楽を始めるきっかけはここからである。
ホストファミリーは、親同士の喧嘩が多かったものの、なんとかやれていた。

秋から冬へ。11月。
どんどん寒くなっていく。
ホストの私の部屋は北向きだったがために、
昼夜問わずとても寒かった。
部屋が広く暖房をつけても部屋全体が暖まらず、
効果がなかった。
たった一本のスクールバスのために早起きする生活がとても辛かった。
体調を崩すこともあった。

11月はこれだけではなかった。
現地校に一緒に通っていた、私以外の2人が
恋愛的な付き合いに発展していた。
わたしはロッカールームで2人が抱き合うところを目撃してしまったのだ。
英語の授業は、日本人対イギリス人の授業。
日本人は現地校にわたしとわたし以外の2人だけだったので、気まずい思いを何度もすることとなる。

私以外の2人が、恋愛をして英語の授業ではイチャイチャしていることが許せなくなった。
日本でクラスメートの男の全てが嫌になって、
陰口を叩いた。

12月、冬休みに入る前、大雪が降った。
イギリスのわたしのいる地方は、雪があまり降らないが、異常気象のせいか降った。

たくさん雪が積もったが、
次の日も普通に学校がある。わたしは家を出て、バス停に向かったが、バスはすでに発車していていなかった。
先回りすれば乗れるので、先回りしようと足早に道を歩いていたとき、わたしは凍った地面に気が付かず、転んで顎を打った。
出血で病院に行ったが、骨折していなかった。
しかし次の日、軽い脳震盪で動けなくなった。
熱も出た。そして2日間ほどベットから動けなかった。凍えるほど狭い部屋から動けなかった。

子供が多いホストファミリー。ワイワイしていてなかなか落ち着くこともできなった。また、親同士の喧嘩には耐えられなかった。

身体的・精神的ダメージがすごかった。
日本のクラスメートに対する悪口がインスタにも溢れていった。 

12月、クリスマス前、ホストファミリーが休暇で遠出することになり、
別のホストファミリーと共に冬休みを過ごすことになった。別のホストファミリーの家は、わたしを迎えてくれた。クリスマスパーティーをやったり、ボードゲームで遊んだり、ゆっくり楽しんだ。

1月、冬休みが終わる前に、ホストチェンジを決意した。冬休みに一緒に過ごした、ホストの家で残り半年を過ごすことになった。

ある日、親から電話があった。
わたしは悟った。
悪口で相手を傷つけていたことが、
日本の高校にもわかってしまった。
退学は免れた。

ホストチェンジしてから、わたしの生活は大きく変わった。気持ちが前向きになった。
私は「私」なりにとことん楽しもうと。
残りの留学生活はとことん楽しもうと決めた。

ある日、街を散歩していたとき
ギターショップに入った。
とあるギターに一目惚れし、そのギターを買って、学校から帰って毎日30分、しっかり練習した。

そして、身体的・精神的な体調不良を起こしたくないと思い、ジムに通い始めた。
土日のどちらかでしっかり体を鍛えた。

現地校では、良く話す友達といった友達が少なかったので、会話せずともとりあえず生活を楽しむことにした。先輩がとても仲良く接してくれた。

ホストファミリーを暖かな生活を送った。
特に会話はホストファミリーとすることが多かった。
ホストファミリーの親族の誕生日には
パーティーが開かれ、参加した。
ディスコミュージックで夜12時まで騒いだときは
最高に楽しかった。

6月のわたしの誕生日にはEd Sheeranのコンサートに連れて行ってもらった。
休日になると、1人で隣町まで出かけたり、少し遠くの街に出かけたりした。とても楽しかった。

7月。英語の成績は1月に比べて上がった。
私以外の2人のレベルに合わせなくてはいけなかったので、苦労した。テストも他の2人のレベルに合わせて受けることとなった。

帰国する直前、
現地校の先輩方がわたしのためにパーティーを開いてくれた。
本当に嬉しかった。
辛いこと苦しいこと、たくさんあったが
優しい人に支えられた留学生活。
辛いことを乗り越える力がついたと思う。

高校生、将来の目標もない中途半端な年頃で、留学を経験できたことは、当たり前なことではない。
私の両親が働いたお金でできたこと。
幸せ者であるし、感謝の気持ち今も忘れていない。
足を踏み外したこと、辛いこと苦しいこともあったが、あったからといって英語があまり得意ではないと言いたいわけではない。
ただ、わたしのことを知ってもらいたかったからだ。留学をしたから、成長できた部分はたくさんあった。

もし、このノートを最後まで読んでくれた人には、
感謝をしたい。まとまりのない文章を読んでくれて、ありがとう。

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