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読書メモ ケアマネージャーはらはら日記

なんだか気軽に読めるかな〜と手に取ったものの
意外にも心に来る作品でした。

ケアマネージャーはらはら日記 岸山真理子さん著

68歳で現在ケアマネージャーをしている岸山さん。
40歳を過ぎてから正規雇用され、
3つの居宅介護支援事業所に勤務した経験を持っています。

著者の岸山さん曰く、ケアマネ歴21年以上ですが、
自分は手際が悪く、機転がきかない、書類整備などの実務に追いつけない、できないケアマネージャーであると語っています。

日々の仕事は、電話をかけまくり、ケアプランを作り、経過記録、
担当者会議録、モニタリング記録を残す、救急車を呼ぶ、
救急車を追いかけて、病院に行く、病院に付き添うなど日々等、
バタバタと過ごしています。

病院にはかかっていないものの、
注意欠如、多動症ADHDと二次障害の不安神経症の症状があるそう。
これまで、色んな非正規労働を転々としていて、
介護の仕事に魅力を感じて、正規社員として働くことを決意。

市の生活保護課のケースワーカーと補助金を受ける際には格闘し、
ある時は、首を括って死ぬと言い張る高齢男性のお宅を訪問したり、
日々生活が綱渡りになってしまっている人の元へ状況を伺いに行ったり、
何かできないかと一生懸命に頑張る岸山さんのお仕事の様子が垣間見れます。

岸山さん自身も自分の至らなさや、精神的な障害のような症状がある上、高齢であること。
さらに周りからの嫌な叱責を受けたり、パワハラなどにも遭いながら、
それでも仕事にやりがいを持って仕事を頑張る様子が、文章からも滲み出していました。

この本を手に取ったきっかけは母でした。
私の母は介護ヘルパーとして毎日、利用者さんの元へ様々な支援を行い、
自身も病気を持ちながら、一生懸命に働いています。

いつも、自分にはできないなと思い、とても尊敬しています。
介護の現場を知ることは、母のこと、そしてやがて皆に訪れる老いや死、
人生後半の生き様について知りたいと思ったからです。

たまに家族で集まると、お墓のこと、お葬式のこと、施設にいる祖父のことなどが話題にのぼります。
生きていく上で、人生の後半をどのように生きたいだろうか。
と考えることも多いです。
そして、自分の親に介護なり、何か手助けが必要になった時、
お金や仕事、時間をどれだけ割けるかなど、
いろんなことが頭の中を駆け巡ります。
不安になってもどうしようもないし、今を生きることには変わりないのですが、
高齢になると孤独になる人が多いという現状も、母から聞いています。

友達が多いと、もしかしたら、何か騙されたり、お金を取られたりというトラブルも増えるかもしれませんが、話す人が誰もいないというリスクの方が高いような気もします。

本書の岸山さんのように、仕事がトクベツ出来るワケではなくとも、
やりがいを持って介護の仕事に取り組んでいる人もいます。
嫌な思いをしても、
日々奮い立たせながら頑張っている姿には心にくるものがあります。

パワハラしてくる人には、私が正論言って論破してやろうという気持ちにもなるし、
なんとか、相手のおかしさをついてやろうと岸山さんの味方をしてあげたくなりながら読みました。


岸山さんのフラットな感じがとても好きになりました。
自分は、感情を考えて過ぎてしまう人間なので、母にも介護職は向かないとよく言われます。
でも興味はある。
自分自身を使って、人を元気にする介護職の人への羨望もあり、
尊敬もあり、自分に今できることを考えるきっかけとなります。

知ることは、本当に多くのことを考えるきっかけになります。
この本は、最近読んだ本でかなりのおすすめとなりました。

パワハラの所は辛すぎて、いったん本を閉じました。
しかし、岸山さんの心のモヤモヤを自分が少しでも吸い取ったと思えば、
それもまたいいのかなと思います。

市役所の対応にも腹ただしく感じる部分があります。
本当にその人のためを思うということは難しいことです。
市のシステムや予算があることもわかっていますが、
介護職の方が心を砕かないといけない。
市の職員たちが嫌な人間にならないといけないというのは、
なんだかなぁと思います。
個人主義の現代だからこそ、様々な問題が生まれていて、誰かがその責任を負ったり、痛い思いをしている。
そのことに気づかなくてはならないのかなと思いました。

本書の中でエピソードを一つまとめたいと思います。

エピソード

1月が終わる頃、市役所の介護保健課の係長からセンターに電話がきます。

団地で暮らしている73歳の木村さんから市役所に首をくくって死ぬと言う電話がきたそうです。家庭訪問して訴えを聞いてあげてくださいと言われ、現地に向かう岸山さん。

この業務を相談業務と言うそうで、市役所からセンターに委託されているものだと言います。市役所の下請けというような形で、持ちつ持たれつ行われており、大切な業務なのだと岸山さんは言います。

自転車で木村さん宅に向かい、インターホンを押すと、しばらくしてドアが開きます。

「誰だ?」と陰鬱な目をする木村さん。
痩せており、醤油で煮染めたような半纏を羽織り、緩んだ股引きを履いています。

市役所から委託を受けて伺ったことを話す岸山さん。
木村さんは、岸山さんを家の中へ招き入れました。

廊下には新聞紙や雑誌、チラシ、靴、傘が積み重なり、その合間を縫って歩く木村さんの足取りはふらついています。
足の踏み場もない家で、木村さんの言い分はこうでした。
風呂場で首をくくるから、自分の死体を骨にしたあと、北海道の姉に宅配便で送って欲しいと言うのです。

岸山さんは、それは市役所ではできませんとキッパり言い、私にできることを提案させていただいてよろしいですか?と木村さんへ支援の提案をするため、正座して向かい合います。

死んだほうがましだと嘆く人は多いのだと岸山さんは語ります。
しかし、遺骨を肉親に送って欲しいと言った人は初めてだったそう。

木村さんは、安い料金の弁当を宅配してもらうサービス受けることを勧めると
首をくくると言っていたのが嘘のように、あっさりと承諾しました。

その後、宅配弁当の感想を聞くために訪問した岸山さん。
この配食サービスは木村さんを開かずの住人にしないための手段なのだそう。

家の中へ入ると、新品の包丁に目が行きます。
聞くと、上階からの水漏れに、包丁を持って怒鳴り込み、通報されたと言います。
しかも悪いことに、団地の管理事務所の管理主任から退去勧告を突きつけられたと話します。
木村さんはアルコール依存症で、一日一回の弁当を食べるのがやっとでした。
栄養失調で、肝機能もよくなく、木村さん自身はこの危険な状況に気づいていません。

そこで、岸山さんは木村さんの暮らしの立て直しを図るため、施設を探そうと考えました。
要介護認定の申請をして、要介護2の認定が出たものの、施設探しは難航。

身元保証人がいないことが、ネックになってしまいます。
岸山さんは電話をかけては断られ続け、木村さんは酔って、岸山さんに食ってかかることもあったと言います。

ある時、介護サービス会社が、市内にサービス付き高齢者住宅をオープンさせます。
木村さんの年金14万円のうち、10万円で入居できるように対応してもらえ、身元保証人もなしでも良いとのことでした。

そうすると、あとはゴミに埋もれた家の片付けが始まります。
岸山さんは、知り合いの遺品回収業者に頼み込み、片付けを引き受けてもらうことに成功。

なんと、ゴミの量は、6トンもあったそう。

”木村さんにアルバムをお渡しください”

キレイになった家の中に、遺品回収業者から手紙とアルバムが置かれていました。

アルバムを開くと、木村さんの娘さんと思われる女の子の写真が、
一歳から1年ごとに26枚が貼ってありました。

1歳、2歳という年齢と一言だけボールペンで説明書きがされていました。

木村さんの面差しのある娘さんは溢れるばかりの笑みと美しさを増し、

短大を卒業して東京で就職しました

と最後の方にはそう書いてあり、娘さんは、キャリアウーマン風の女性へと成長していました。

最後に、「パパ、元気でね。いつか会いたい」で締めくくられています。

この時から、すでに18年の月日が経っていました。

アルコールが原因で妻や娘と離別した木村さん。
アルバムだけで、子どもの成長を知る18年間とは一体どういったものだったのかと
岸山さんは、感慨深くその場に立ち尽くしたのでした。

この後、このアルバムの送り主が、木村さんのお姉さんだったことがわかり、
岸山さんは、そのお姉さんに娘さんに会いに来てと伝えて欲しいと話しますが、キッパリと断られてしまったそう。

家族の繋がり、病気、会うことすらできない関係って一体・・・と
考えさせられてしまいました。

家庭の状況やコミュニケーションはその家それぞれだとわかっています。
きっと色んな積み重ねがあり、もう無理だと判断した瞬間があったのかなと
思ってしまいました。

ですが、どんな人にも市や福祉は必要です。
どんなにもう無理な人にも対応していかなければならない
厳しさと愛情、そして割り切り

援助をする側も、される側も一線を引いて生きることの大切さを

改めて思い知らされました。

今回は重めのテーマでしたが、
スキ!と思って頂けたら、教えていただけますと幸いです

ではまた〜






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