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中途半端なキャリア

前回私が消化器内科になった理由を話したが、今回は専攻医になってからの話をしようと思う。

↓前回のお話

初期研修医の時はどちらかというと結構働き者で、皆が嫌がっていた救急当直を人から貰ってでも休みの日も当直したり、時間外勤務なんて気にもならないくらい働くことが好きだった。
だから消化器内科というどちらかといえばハードな内科でも何も抵抗なく入局しようと思ったのだろう。

専攻医1年目(医師3年目)は大学勤務から開始となり、
Joslerで必要な他科の疾患が足りないのがあったので、間に他科もローテした。
同期は消化器医局では10人以上いるが大学スタートは女子3人で、普通に最初から仲良くなり楽しく過ごしていた。

だがやはり大学勤務なので市中病院と比較すると内視鏡をさせてもらえる数が圧倒的に少ない!
週1回の外来、週2回の外勤、週3回程度ある救急当番などで内視鏡室にべったりという日は全然なく、また各ローテ中はそっちの処置につかないといけないので、自分で時間が出来た時にあししげく内視鏡室に足を運んで上級医を捕まえて内視鏡のスキルをつけていくしかなかった。

既に市中で他の同期が勤務していたので、「あぁ、他の同期は皆かなり上達してるんだろうなぁ」と落ち込むこともあったが、オーベンが「最後は皆出来るようになるから大丈夫!」と励ましてくれていた。
まあでも大学なので高度な処置や珍しい疾患などもたくさん経験することが出来たので、毎日学びがあって楽しくは過ごしていた。

その中で興味が湧いたのが胆膵であった。
当時は彼氏もおらず、一応マッチングアプリと親に無理やり登録させられた結婚相談所で活動はしていたが、自分の仕事に精一杯であったこととまだ20代だったので結婚への漠然な不安はあったが、結婚できなくても仕事頑張ればいいや!というバリキャリな考えを持っていた。
胆膵は消化器の中でもかなりハードな範囲であるが、ERCPやEUSに興味があったし、ハードでも全然いい!と思っていた。

何となくそう思っている間に次年度の人事異動の希望を聞かれることになった。
私は胆膵に興味があったので、ERCPはまあどこの施設でもやっているとしてEUSを学べる市中病院を希望した。
既に他の同期が市中病院で働いていることもあり、定員的にEUSを学べる施設が2ヶ所に絞られた。

だがしかしここで問題が。
同期女子2人と希望が被ってしまったのだ。
その2ヶ所の病院のうち1つは元々女医に人気な病院であり、もう1つは立地がとても良かった。
もちろん消化器内科を志す女医()が折れるはずもなく、2人とも断固として譲る気はなかった。
でも私も気は強い方なので、「EUS学べるところがここしかないからなぁ」と譲って感を出して、医局長は相当困っていた(笑)

医局長がここで「とりあえず他の病院も見に行って第3希望まで決めてみて」と提案してきた。
でもEUSやってるとこないしなぁと思いながら医局長に提案された病院に見学に行った。
そしてその見学に行った病院を第3希望にした。

各々病院見学が終わり、各々で医局長に第3希望まで報告し終わったところで再度呼び出された。
そこで医局長に言われたのが「残りの2人がやっぱりその病院がいいみたいで、、第3希望があるならそこに行ってもらってもいい?」と。

正直、めちゃくちゃブチギレそうになった。
第3希望まで決めてって言われたからしゃーなし決めたのに、そんなん言ったもん負けやん?
医局長がその後「今後の人事異動は優先して決めさせてあげるから今回は本当にごめん」と絶対守られることのない約束をしてきた(笑)
揉めるのもめんどくさいし、昔から先輩の言うことは絶対!で育ってきた私は上司に言い返すことも出来ず、「先生が言うならそこに行きます。」と返事した。

ここで私のやる気は一気になくなってしまった。
その第3希望の病院が現職場であるが、どちらかというと内視鏡件数は少なく、処置も少なめ、もちろんEUSもやってない。
ただその分17時に仕事がほぼ終わるという消化器内科にしてはQOLはかなり高い病院。
でも当時社畜であった私は、QOLなんて求めておらず、今後の自分のキャリアに不安しかなくなってしまった。
また皆に置いていかれると。

いざ異動になり、最初は慣れるのに時間がかかり、上下部内視鏡も大学では不十分だったので、内視鏡の件数が少ないとはいえ勉強しながらだったのである程度は充実していた。
後は消化器のメンバーが楽しかったのも救いであった。(うざい奴もいたけどw)

消化器の割にQOLが高いため、皆に余裕があり優しく教えてくれたり、色々やらせてくれたりした。
慣れてきた頃には私もQOLが高いって大切やなって思えるようになってきて、いつの間にか気持ちがハイポになっていき、17時に帰れないと「あー残業かー」とまで思うようになっていた。(残業代も出ないのもあるが)

でも同期と集まったりすると、やっぱり今のままじゃダメや・・と落ち込んだりした。
何か心にぽっかり穴が開いていて、漠然とした不安がずっと募っていた。

特に趣味もないし、毎日早く帰宅して、コロナ自粛もあったので自炊して、寝て、起きるの繰り返しがとてつもなくつまらなくなってきた。
ここで『ちゃんと婚活しよう!!』と思い始めたのだった。(当時29歳)

大した婚活はしてないし、またこれは別の記事に書こうと思っているが、結局現職場の上司とお付き合いし、結婚まで至ることが出来た。
旦那には上司部下の関係の時から、同期女子の話だとかキャリアのことは相談していた。

旦那は実家が開業医で近い未来で継がないといけない。
開業している場所が少し離れてるので、そうなった時は引越しもしないといけないし、医局も辞めなければいけない。
旦那は私と結婚するって決めてから、
「僕は大学院出たけどしょこらは行かなくていいよ。取れる専門医だけ取ったらいいと思うけどね。医局もやめていいし、バリバリ働かなくてもいい。むしろ子育てしたいなら専業主婦でもいい。悩まないでストレスたまらないようにしてくれたらいいから。でも働きたかったら全然働いていいよ(笑)可能なら最終的にはクリニック手伝ってくれたら嬉しいな。」
と言ってくれた。
今まで私は何と戦ってたんやろうと心の荷が降りた気がした。

医局(同期?)に元々思い描いていたキャリアは潰された感じはあるが、今の職場に異動にならなかったら旦那と出会ってなかったと思うと、まあこれも良かったのではないかと今となっては思っている。
(実は旦那も医局に思い描いていたキャリアを潰されているので、私の気持ちが痛いほど分かるみたい。)

専門性のないただのカメラ屋さん、普通の内科医程度にしかなれないキャリアになりそうだが、これから子育てもあるし私の中でも、子育て>仕事になってしまっているので、自分の出来る範囲で育休明けは働いていこうと考えている。

今でもバリキャリ女医、本当にカッコイイと思う。
憧れる。
でも私はそれにはなれないし、旦那もそれを私に求めてない。
医師としては中途半端な私のキャリア。
今後の働き方は模索中である。

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