見出し画像

せっかちさんが山に行くと

登山が好きだ。
春夏秋冬、一年中いつだって山に行きたいと思う。
時間がある最近は、しょっちゅう山にいる。
これまでは週末に家族や友人と登っていたけれど、平日に時間のある人もなかなかいなく。いままで犬猿していたソロ登山ばっかり。
これがもう、サイコー!

わりと早いペースで歩くのが好きだから他人に合わせなくていいのが、まず良い点。
マイナーな低山だったりすると、秋のハイシーズンなのに他の登山者にほぼ会わなかったりするから、一人で歌ったり感嘆の声を上げたり、独り言もしたい放題。クマが怖いからしているという面もある(笑)

で、ソロで歩いて思うこと。
他人とのおしゃべりがないから、頭の中だけで忙しく考えることもあるし、ふと昔を思い出して過去をなぞることもある。
が、基本的に「無」で歩いているようだ。

自分はせっかちな性格なようで、いつも効率を考えて動くし無駄な時間が嫌いだ。能動的に動いて成果をあげたくなる。
子どもの頃に読んだミヒャエルエンデの『モモ』に出てくる時間泥棒の男たちが、床屋の鏡に今まで無駄にしてきた時間をどんどん書き出していくシーンがある。子どもの自分は、なんて恐ろしいんだろうと手足の先が冷たくなったのを覚えている。頭の中がいっぱいいっぱいのまま日々を過ごさなくちゃいけないなんて最悪だと思った。

ところがどっこい、大人の自分はいつだってそんな生活。
人生の休憩時間の今。自由な時間をたくさん持っている。
なのに!すき間時間に何を詰め込むか、そんなことに注力している現実。
のんびりダラダラと時間を過ごせない。
このせっかちを直す方が良いという友人もいるけれど、これが快適なのだからどうしようもない。

そんな自分だから、最近の登山もやるべきことを大急ぎで終わらせてから山に向かっている。山に入ってしまえば歩く以外に何もできない。
せっかち人間にとって、「何もできない状態」に自分を置かないと何かしてしまうから、とても良い。

棋士のの羽生さんは、必ず頭も心も休めてぼーっとする時間を作るようにしている、と聞いたことがある。眠るのではなく、何もしない、考えないそうだ。自分にとって、その時間が山歩きなんだなと気づいた。

せっかちでない、頑張らなくてものんびりダラダラできる人たちは「無」の状態を作ることはそんなに難しくないのかもしれない。
どうやってするのか、全然理解できない。だって落ち着かないじゃん!

人生の休憩時間の今、できるだけ人に会わないようにしている。
心が疲れないように、周りに振り回されないように。
自分が何をしていたら、どこに身を置いていたら穏やかに過ごせるのか。
ソロ登山をしながら、気づけるのではないかと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?