悪気は無い、合わないだけ

人間という全ての人、私だってだが、どうも苦手なタイプの人がいる。
老若男女かかわらず。

あくまでも想像、架空の人物だが、「計算高い女」という人は私は苦手だ。基本同性の友達もいるにはいるし、優しそう(そう見える)で、誰からも好かれるし、パートナーととても良い状態でも、相手がどれだけ真面目でも、ここという弱いところをつくパートナー。ここで泣かれたら弱いとか、とにかく仕草や言葉、努力があまり要らないものに努力を重ね、心をかっさらっていくような。そしてその彼氏以外の友達には仕草も言葉もごくごく普通で、たまに違和感感じるような、違和感を感じお互いに意見交換するのもまた友達だと思うのだが、パートナーについてのみ、パートナー好みをもう演じる域を超えそれで生きている人。

そういうことをする人に恋愛の駆け引きについての計算高さを感じる。パートナー以外なら、気持ちを隠さない。不快にさせられたり、こちらが不快にさせたり、逆に励まされたり、励ましたり。そのうち、そのカップルが結婚したりすると、上手にパートナーを手のひらで転がし、パートナー第一、パートナーが王様とたてることで、家庭の中の自分の確たる位置を持っている人。苦手である。

私が架空の人物、小説で書く人物はリアルとか何かとかを全部ごちゃまぜにしているので、全くないとは言えないが、影響されるものを全て混ぜていて、嫌いな人物を作り上げ、上記は私のただの想像だが、現実どこかに居そうで私だったら人間関係しんどいなと言う人。

私の友達は、類は友を呼ぶというのか、曲げられないことは曲げられないし、夫を持つ友人は言っちゃいけないことは言わなくても、ここぞというとき、男女間の感情の計算はしない。人間関係において私も計算はする。例えば、これは絶対言ってはならないとか、当たり前だが傷つけたり、相手にとって嫌なことを言わないように。ただ指導を受ける場合は自分の痛いとこを親友も注意してくれたり、私もしたりと、これこそ人間関係における正しき計算の仕方ではないかと思う。


ネット記事で、人のパートナーを奪う趣味の人がいると読んで、そういう人もいるんだよなぁ、裁判になっても、裁判にならなくてもと自分には不向きな領域で、私はパッとあの人かっこいい!となっても誰かのパートナーとわかると、そのかっこいい!の気持ちが面白いほどに萎む。これは自分の状況変化でも面白い。それほどどうでも良いということだが。


でも、恋愛の感情の計算だけが人間関係の中の計算で得意な人は、悪気はないけどわたしは合わない。そして嫌いな方の人だ。


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