ほんとうならば、今ごろ

もうかくこと、なんもない。なんも、ない、かもしれないのに、わたしは書いてる、6月が終わるから、わたしの6月。

本当なら、わたしは、今ごろ小説家になっていたのだ。
40歳までに、小説家になる、という夢を追いかけていた、けれど、かなわなかった。でも、いいや。これからも、書く、けれど、絶対書く、けれど、夢って、あわみたい、凡庸に、夢って、夢みたい、だから、はかないし、だから、あこがれるのか。

精一杯生きた、6月。

もう、いろいろありのままに、書いたら楽しいねきっと。7月は芥川賞が発表だし、自分的にわくわくしている。

とまあ、しばらく日記というか、NOTEを更新していないと文章がぎくしゃくしている、重いと文章が一致しない。

6月は身近な人が、身内をなくしたり、身近な人が病気になったり、家族の事で、ひたすら灯をたやさぬようにしたり、戦争や、世の不条理にいかったり、憧れのアイドルたちの活動を見守り、解釈し続けたり……、カネコアヤノのライブにもいったし、首が痛くて病院にかかったら、「かれい」です、と宣告されたり、文學界の新人賞を読破したり、「私は無人島」「日曜日(付随する19枚のパルプ」を読んで、わたしも書かねば書かねばはじまらないって思ったり、誕生日は、なにしたか覚えてないけど、ケーキも食べてないし、あとは、なんだ、脱毛器を月賦で買ったり、詩を書いたり、一人で、川沿いをあるいて、鳥をみつけたり、たくさん深呼吸しようと心がけた1か月だった。
白髪が急激に増え、人間失格にならぬとも、なんかどんどん老けていく。いまは、わたし、夕暮れなんだ、だから、沈む前に、小説家になって、自分の本が誰かに読まれるのを、果てしない山の稜線みたいに、願ってればいいかな。
書くことなんてないけど、読まれなくても、いいけど、書きたいし、書く、新人賞に応募する皆さん、ほんと、小説書くって、大変(生活とのバランスが)でも、みなさん、頑張りたいですよね。

尊敬するアイドルに対しては、もう、なんか、日用品のような不変さでわたしあの傍らにいるという存在感になっており、もはや、必需品で、彼らと、世界と、自分と、世界のすべてが、まあるく、巧妙におさまればいいな、戦争がなくなって、人の卑劣さがもっと、サイズダウンして、命や尊厳をめぐる、悲しみがなくなればいいな、と、すこし、回復したわたしは、思う。

ともかく、生きようぜ、それだけ。


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