純文学とは

朝起きて、小説書こうと思ったのだけど、世の中のニュースとかしらなきゃねなんて思って、ネットニュースを見て、韓国の有名なグループの飲酒運転記事から、韓国アイドルの結婚出産にまつわる記事に飛び、わたしの尊敬するあのグループの方々も、幸せになって、その時、わたしはどんな心もちで、彼らと向き合っていくんだろなんて、きもちわるいような甘美な妄想で約十分、さあ小説書こうとおもっても、髪の毛が分厚くて、最近気温が特にあついから、朝のシャワーに変えて、だから髪の毛を乾かす時間が、逆算するとスゲえ風にかかってしまう。髪の毛の分厚さを切り取るために、来週に予約する、なんで髪の毛伸びるのが速いの。わたしの意識は、もしかして髪の毛の中にあるんでは?なんて思っても、返してくれんのは、布団とかン鍋とか、枕とか、電気スタンド。無言。


時間は高額な消耗品で、こんなロジックにもなってない、わたしの言葉は、時数を稼ぐためにあるの?


昨日で、サンショウウオの四十九日を読み終えた。もう一度読もう。わたしは、小説を書いて小説家を目指しているのに、読解力がない、それに、政治や世界や文法や、健康に関する知識も浅い、恥ずかしい、言葉は、ただの感覚でならべてるだけだ、まるで、でたらめなパズル。

書きたいことは、縦横無尽に駆け巡ってんだけど、時間がない、髪の毛がぶあついからか? 家事を手抜きしないからか?なんて、最低限の事をやって、日が暮れてら、だから、つべこべいわないで、いまから書いてやる……

 バリ山行が、するすると読めるため、大変美味。
とてもわかりやすいことに、感動した、読み進めるのが楽しみ。

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