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「わたし」を俯瞰する~じぶんジカン~



はじめに

完全週休三日制、実働六時間、手取り30万以上。


私が社会人一年目の終わりに掲げた理想の一つである。
時代が私にまだ追い付いていないので、なかなか実現が難しいところだが、何とか理想に近づけるように、牛の歩みで向かっている。

この記事は、わたしに理想へ向かうきっかけ=自分と向き合うきっかけをくれた、じぶんジカンさんとその商品への取り組みの備忘録的なものである。
備忘録的なものであるから、所々自分の身の上話が続いたり、まとまりがない部分は薄目で見逃してほしい。
また、当方はnoteを使うのも初めてなので、誤字や見づらい部分などがあったら優しくご指摘願いたい。


じぶんジカンとの出会い

じぶんジカンさんに出会ったのは、社会人二年目の時だった。

コロナ禍で仕事に就いたこともあり、「3年は仕事を続けよう」と自分なりに決心して社会に出た新卒社会人。
2年目にして当時の上司と反りが合わず、本気で仕事を辞めたいと思った(結局メインの業務への楽しさが勝って続けたけれど)。ストレス過ぎて大好きな絵を描くことも、ゲームをすることもままならなかった。
仕事を辞めてしまいたい。でも、自分がどんな仕事をしたいのか、どんな風に生きたいのか何も見えない。
明日が来るのが嫌で、休日が終わりかけるたびに泣いていた時に出会ったのが、じぶんジカンさんだった。

衝動でノートを2冊買った。

きっかけはTwitterか何かの告知だった。
「これからを描く2冊セット(自己分析&働き方ノート)」を購入した。
体感30秒。財布は見なかった。
アイテムの名前に惹かれたのは言うまでもないので、じぶんジカンさんのタイトルセンスは本当に素晴らしいと思う。
アイボリーと深緑の表紙のノートが届くのが待ち遠しかった。
届いて、早速自己分析ノートに取り組んでみて、びっくりした。


なんてあっssssssssssssssさいんだ、自分。


自己分析をしているはずなのに、全然深いところまで辿りつけない。
自分の強みや経験から見えることが全然わからない。
問いはそこにあるのに、答えが出てこない。
何ならSTEP3の「現状を整理する」ではついに筆が止まってしまった。
これは今取り組むべきではない、そう思った。
「働き方を考えるノート」は、そこから1年近く、未開封のままで眠っていた。
私が「じぶん」から目を背けた瞬間だった。

転機

時は流れ、社会人3年目。
毎年上司が変わっている私だが、3年目は上司にも、仲間にも恵まれた。
山あり谷ありではあったけれど、忙しさの中にも楽しさがあったし、環境が変わったおかげで大好きだった絵も描けるようになってきた。いろんな展示会に参加したりもして、充実の一年だった。
そんな中で、大好きな絵をもっと勉強したい、絵で暮らしを立てていきたいという、ずっとずっと昔からの「夢」が胸の内にくすぶっていた。
自分で決めた「節目の3年目」が終わったせいも、あるかもしれない。
事件はおきた。

新卒で会社に就職し、「3年」という縛りを自身に課したとき、私はいくつかの目標を立てていたのだが、実は、この三年で自分が決めた目標は一つを除いて達成してしまっていた。
その残り一つを達成できるまでは、今の仕事頑張ろうかな、絵のことは来年でもいいかな。
そんなことを考えていた惰性の四年目の春。
最後の目標が、コロッと達成されてしまったのである。

さて、どうしよう。この先。
心中大慌てである。
もちろん目標達成は自分ひとりの力で成しえたものではないので、こんなことを言うのも烏滸がましいのだが、最後の燃料だと思ってくべたものが一瞬にして炭になった。いわゆる燃え尽き症候群である。
出鼻をくじかれた私はなかなか次の目標を再設定できず、惰性の4月を過ごした。もともと昇格の意思もなく(明らかに一つ上以上のポジションが自分に向いてないのはわかっていた)、給与上限まで頑張ってもその先がもう見えてしまっている。
燃え尽きたまま日々をやり過ごしていたために、思うように仕事がいかず、ストレスを抱える日々に逆戻りしてしまった。
しかも思っていたよりため込んでいたらしく、わずか2週間足らずでうつ病一歩手前くらいまで行っていた。


「これから」のわたしのために

そんなとき、じぶんジカンさんのエッセイ集の文庫版の発売が決まった。
内容のさわりを見て、またしても衝動的に買った。
「このままではない、これからへ」
今の自分に、必要なものな気がした。


一冊目を読んで、静かに泣いた。
自分に刺さる部分がたくさんあった。
著者の松岡さんと境遇的に重なるところもあったりして、勝手に自己投影してさらに泣いた。

共感できること、今の自分に刺さる言葉、気づかなかった視点、見ないフリをしてきた感情…

付箋を貼る手が止まらなかった。何度も何度も読み返して泣いた。
(こうして文字にしてみると結構危ない奴じゃないか?私)
2冊目はまだ私が深く考えられるところまで来ていなかったからか、大泣きすることはなかったけれど、「一冊目の領域を向けたら、今度は2冊目でなくんだろうな」と予感はしている。
このエッセイ集、「このままでいいのかな」と思っている人には、ぜひ読んでいただきたい一冊である。

閑話休題
そうしていくうちに、「自分が生きたいと思う生活をしてもいいんじゃないか」と思い始めた。
「やりたくないこと」は「やりたくない」でいいんじゃないか。
「やりたいこと」は挑戦してみていいんじゃないか―――
そんな折にふと、じぶんジカンさんのノートの存在を思い出した。
今なら、もう少し考えられるかもしれない。

前の内容を残したまま、新しくペンで書きこんだ。

夢中になることはあまり変わらない。
絵を描くこと、本を読むこと、ゲームをすること、自然と触れ合うこと、おいしいものを食べること―――

とりあえず安全牌を選んできた大学進学までの人生、教育の分野で関わってきたから、やはり教育の分野という安全牌をとった就職活動―――

人間関係は狭くそこそこ深く、集団行動は3人までが限界、リーダーは向いてなくて、一人で与えられたタスクを黙々と裁くのが好き、精神的・肉体的・金銭的な安全を求めるくせに、安定し始めると飽きてしまう etc…

2年前は見えなかった自分が、少し見えた気がした。
そして、ずっとずっと、「心の中の自分」の気持ちを、見ないフリをしてきたことにも気づいた。

「絵でいきていきたい」

この子供のころからの夢に、時間を使ってもいいんじゃないか。
ずっとずっと何かを言い訳にして、後ろ回しにしてきた「じぶん」に向き合ってもいいんじゃないか。

たった一回しかない自分の人生なのだ。やれるのは私しかいないんだ。
 ―――でも失敗するかもしれない。グラグラ揺れる橋を渡るのは、怖い。
生きてりゃ何とかなるはずだ、踏み出すなら今だ。
 ―――でも、でも、

そんな葛藤が、1か月くらい続いた。
しかし、頭と体はちぐはぐで、絵の学校の入学はトントンで決まったし、退職願も出した。退職後に使える制度や手続きは調べたるくせに、再就職する気にはなれず、お金の不安が頭をよぎる。
ストレスウィーク2週目突入である。

「じぶんジカン相談室」との出会い

さて、自分のちぐはぐさと漠然とした不安に駆られ発狂()しかけていた頃。
またしてもTwitterにて、「じぶんジカン相談室」なるものに出会った。

じぶんジカンさんが、私の悩みに一緒に向き合って、問いを立ててくださる。
またとないチャンスでは、と思った。
自分らしい生き方を実践している人と、直接やり取りができる。
期間は3か月。3か月後ならちょうど学校に通い始めるころだ。

悩み悩んだ末に、最後の1枠に滑り込んだ。

カウンセリングやWEB面談と違って決められた時間や予約もなく、じっくり一月おきにやり取りする相談室は、ゆっくり考える時間をとれる。
私自身は問いを深めていくことが苦手(考える力が弱い)から、いくつかテーマに沿って送られてくる問は考えやすい。

自分が調べていたことは間違いじゃなかった、そういう視点はなかったな、調べてみよう、考えられるところまでは考えてみよう…

私の相談事はかなり偏っているほうだと思うので詳細は省くが、じぶんジカン相談室は「先達に聞くのが一番」のいい例であると私は思う。
もし、悩みがあって、申し込むか迷っている人がいるのなら、私は相談してみてほしいと思っている。4500円以上の価値が生まれる可能性を秘めていると思う。

おわりに

ここまでだらだらと書いてきてしまったが、私は本当にじぶんジカンさんの商品やサービスに出会えてよかったと思う。
他人に聞くことをためらったり、考える前にあきらめてしまう私が、この過程をnoteに残そうと思い、実際3000時以上の文章を書けるぐらいの変化を与えてくれた。書いてるうちに自分を俯瞰的に見れるようになったり、もうひとりのわたしと対話するように分析できるようになってきたと思う。
まだまだ「自分が無理しない、生きやすい暮らし」には程遠いけれど、「何とかなる」の精神で進んでいきたいと思う。

もし、「じぶん」に迷いがあるのなら、ぜひ一度じぶんジカンさんのショップを開いてみてほしい。
何かきっかけになるようなものに出会えるはずである。

わたしが「これから」を考えるためのノートや本に、出会えたように。


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