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神さんとの日常「沈黙は金」

「自分ができていないことで人を咎めると、自分に返ってくる」

と、神さんはよく言われます。
最近は自分の顔が見えないことを良いことに、SNSで言いたい放題の人が増えました。確かに言いたいことはわかるのですが、それならば自分はどうなのかをわきまえて発言しないと必ず自分に言葉が返ってきてしまいます。

SNSは名前も顔も出さない秘匿性の高いものだから大丈夫だと思っている人も多いと思いますが、言霊は文字に起こしても成立するので気をつけてください。特にSNSは不特定多数に見られる「公」のものなので、言霊はより強い力を持つことも忘れないでください。

ただ、家族や友達などと話をすることや心の中でいろいろ考えるくらいは、「個」の領域なので大丈夫だと神さんも言っておられるので安心してください。

今回のお題がなぜ「沈黙は金」なのか。

これは言霊の世界のお話です。
人の行動に意見をする時は「対価」が求められます。対価とは何かというと「あなたの積んだ徳」です。対価の量が足りないとその分を払わないといけなくなるので、必ず何かしらのしんどいことが降りかかってくるのです。SNSでいろいろ言い続けている人の大半はこの負のループに入ってしまって、何事にも意見をして負のループのイライラを解消しているつもりで負債をためて自分でしんどくなっている人だと思ってください。

自分に関係のない人のことは黙っておけばいいのです。

知り合いと会話の糧に話をするのはいいと思いますが、自分のストレスの発散のために不特定多数の人に誰かを咎める意見を言ってしまうと自分が苦労することになります。簡単な気持ちで書いた意見でも言霊の理は適用されます。だから「公」では誰かを咎める意見は言わないほうがいいのです。

会議などの公的な場で「建設的な意見」を言うことはとても大事ですが、感情に任せた意見を発することは避けるべきだと思います。自分が有利になる意見を言えば言うほど求められるものは大きくなり、手に入れた有利以上の不利がやってきてしんどさだけが残ってしまいます。このしんどさが「雄弁は銀」になる理由なのです。

自分を良く見せるためだけに人を貶めたら、それ以上に自分自身で自分を貶めていると思ってください。

必要以上に何も言わない。それが「沈黙は金」なのです。

「誰かを咎めるならば、それに足る人でいなさい」

神さんはいつもこう言われます。
総理大臣の息子の所業を咎める前に、そういう人が入ってしまう原因を作った「選挙に行かない人」をこの国の人は咎めるべきだと僕は思います。

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