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愛考家という言葉を作ってみた
『私はよく考える…』考えずにはいられないと言った方が適切かもしれない
最近『愛考家』という言葉を思いつき、ググってみたが、『愛好家』はヒットするが『愛考家』という言葉はないようだ…
『愛好家』…特定の人物や事象に対する支持者や愛好者のこと ※Wikipediaより
では私の解釈で、『愛考家』とは
『愛考家』…思考や考えることの愛好者
ふと思った事がある。なんでこの言葉は普遍的に使われていないのか?どこかの時代で使われていた可能性もある。だが今まで『愛考家』という言葉は聞いたことも見たこともない
無いという事実の前提を考えてみた
考えることや思考を愛する人が少ないから、使われない→故に作られない
我々が日常的に使用する『言葉』はどれも初めからあったわけではない
誰かが作った言葉を日常使っている
そして、死語という言葉があるように失われるものもある
自分的にはいい言葉を思いついたと思っている。これから生きていく中で、考えることの楽しさ、大切さを伝えていきたい
『愛考家』考えることが普遍的で愛される時代は来るのか?
きっと訪れないだろう
『考えない』を選択しやすい世の中だと思うから
そして、『考える』という選択が徐々に失われている世の中だと思うから
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