暇だが故に考察が捗る件について考察するパラドックス
暇だな
トイレ掃除して店開けて来店を待つのが飲食店
積極的に来店してくれる様にする行動を営業LINEと言うのだろう
私は暇だから来てってLINEが送信出来ないタイプ
ホストとかキャバクラなどは、お客さんに営業ラインするのが文化なのにBARだと言い辛いのは何故なんだろうね
結論はBARでも暇ならLINEすれば良い
開店しても閑古鳥なのであれば営業LINEする時間はモーレツにある
あとはラインを入れるか入れないかの、個人の胆力か鈍感力の問題だと思う
しかし私は折衷案としてのインスタのストーリーズとX等に暇予報を投稿している。
これって結局自分が傷つきたくないだけの行動なんじゃ無いかなと思う
LINEを送って無視されれば傷つくし、無理って言われても同様に心は傷つく
しかし、SNSでの投稿は無視される事が前提で、「良いね」が付く事で承認欲求が満たされ、無視で傷つくことに対して自己防衛している感がある
人には得手不得手がある
私は暇な時間に対して何をすれば良いのかを考察したい。暇だが故の有効的な時間の使い方を模索したい
その為に脳を使いたい。
開店して暇で時間を消費しているだけの絶望は嫌だ
全く何も生産していないならまだしも、時間とお金と人生を溶かし続けているだけの絶望
その絶望の時間でネタを作り、文章を書き、動画を投稿する、しかし何も満たされる事は無い。
満たされる事がないから作り続けられる。何故なら絶望が嫌だから
迷走低迷期に開発したiPhone、結果的に大ヒットしたけどAppleが大企業になってからiPhoneを超える新しい存在は開発されていなくて、現在はブラッシュアップしたスマホが存在し続けている
低迷期と絶望期がいかにチャンスかわかる事例だと思うし、反面、好調期と安定期がいかに守備に徹して今の地位を守ることに注力しているか分かりやすい例えだと思う
しかし、このバズるきっかけのiPhoneを作ることがいかに難しい事かは周知の事実だろう
だから人は苦悩するし、絶望する。
これからも絶望感につつまれて生きよう。
いずれ世界を見返す為に
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