休みの日と仕事の日で風景が違う件について
久しぶりに2連休をとってみた
日々売上の事を考えると、休む選択もでき無くて休まない選択の毎日。
売上に囚われて奴隷と化してる日々の絶望
絶望もエネルギーだと気が付き、絶望をエネルギーに日々創作活動に勤しむ毎日。
そんな毎日が日常の毎日。それは楽しく美しく苦しい日々。これを人々は青春と呼ぶのだろうと妄想しながら
そんな中でも営業が忙しい日もある訳で、体力と気力が取り柄の私も腰が重い日もあるのです
そんな身体が重い日は、瞬発的に休む仕組みであるが故に日々休まない日々
体が重くなると言う事は忙しかったと言うこと。
そんなタイミングで、知り合いのライブと、月一のイベントが連続である月末。
ワーカーホリック気味の私なので、休むという選択には余程強力な理由が必要
このライブとイベントが重なり、売り上げもそこそこ担保出来たタイミングだから休む理由になり得ると自分に言い聞かせて、ようやく休む決断が出来る優柔不断さに嫌気もさしながら、床についた
起きてみると世界が変わっていた
グレーの日々からカラーに変化した
聞こえなかった音が聞こえる様になった
人々の笑顔が目に付いた
太陽が優しかった
私はやる気に満ち溢れていた
日常は全く変わらない。変わったのは私の内面だけだ
内面が変われば世界は変わる。すなわち、自分が変われば世界は変わる
日々そんな事は頭では理解した気になってる。
しかし、本質的に感覚的に感性的にそれらのことを認識するタイミングは、私の人生において稀にしか訪れない。
これが訪れたタイミングで忘れない様に携帯にメモした。
思い出しながら、言語化しながら執筆したかったからだ。
思いは概念。言語化しないと理解できない。理解できないと腑に落ちない。
つまりは私自身の為にこの文章は存在する。
この経験を糧に、これからの日々の人生を
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