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データの信ぴょう性は「誰発信か」による。 信頼できる情報をつかむ現実的な方法とは

ちかごろ、データの信ぴょう性に対する疑念が頻繁に取り沙汰されている。
たとえば、2024年に発表された内閣府の「生活満足度調査」では、3年連続で生活満足度が上昇し、「過去最高」となった。

しかし、インターネット上では「実感と乖離している」「統計操作ではないか」といった不満の声が噴出し、調査結果そのものに対する信頼性が問われた。

この現象は、データそのものよりも、データの発信者やその背景が疑われていることを示している。

今回の発信者は、内閣府。

X(Twitter)もみてみたけど、「嘘をつくな」「嘘をつくな」の大合唱。

政府や公的機関が発表するデータは、多くの人々にとって信頼性が高いとされる。
しかし、同時に政府には政策的な意図があり、そのデータがそのまま純粋に解釈できるものかどうかは慎重に考えるべき。

すべての発信情報は「印象操作」が目的

話は変わるけどまた、民間の調査機関やメディアであっても、発信者のバイアスや商業的な意図がデータに影響を与えることがある。

ここで取り上げるまでもなく、メディアの偏向報道は、枚挙にいとまがなく、一般常識となっているように思う。

さて、内閣府の「生活満足度調査」を例に挙げると、数字の上では確かに「過去最高」の結果が示されている。
しかし、物価の上昇や賃金の停滞といった国民生活の厳しさを日々実感している人々からすれば、この結果は肌感覚とかけ離れているように感じられる。
こうした背景から、多くの人が「データは本当に正しいのか?」と疑問を抱き、ネット上で不満が爆発したわけだ。

データは正しくても表現次第で意味が変わる

ここで重要なのは、データ自体が必ずしも誤りであるとは限らないということだ。
例えば、今回の調査はインターネットを使ったアンケート方式で実施されており、比較的デジタルリテラシーの高い人々が回答している可能性がある。Xでもそのことが指摘されていた。

そのため、彼らの生活満足度が高く出るのはある程度予想できる。
しかし、それでもなお、多くの国民がデータの信ぴょう性に疑念を抱くのは、データがどのような背景や意図のもとで発信されたかを不透明に感じているからだ。

さらに、データを提供する発信者自体にも、当然バイアスがかかることを忘れてはならない。
どんなに信頼性のある機関や組織でも、完全に中立でバイアスがないわけではない。
各発信者には、その立場や利益、または意図がある。
たとえば、政府は政策の成功をアピールするために、ポジティブなデータを強調する傾向があるかもしれないし、メディアは視聴者や読者を引き付けるために、過激な表現やセンセーショナルな切り口でデータを解釈することがある。

この時代に必要なのは「信頼できる発信者を選ぶ」ということ

だから「誰が書いたか分からないものを信じるには、あまりにも商業主義的で、事なかれ主義である」と私は思う。

同時に、信頼できる発信者を選ぶという行為が今後は避けては通れない。

信頼できる発信者を選ぶという行為は、その情報がどのような背景で生まれたのかを理解したうえで、それを基に判断する力を養うことだ。
発信者不明の情報や、発信の意図が不透明な情報に頼ることは、無意識のうちに商業的な利益や、事なかれ主義的な情報操作に巻き込まれるリスクを高めることになる。

特にインターネットの普及によって、発信者が不明確な情報が氾濫している今の時代、こうしたリスクは顕著だ。
SNSやネットニュースでは、出所不明の統計や調査データが頻繁にシェアされ、あたかも真実であるかのように受け取られることが多い。
しかし、その背後には、特定の利益を追求する企業や団体の商業的な意図が潜んでいる場合が少なくない。
こうした情報を鵜呑みにしてしまうことは、情報リテラシーの欠如にほかならない。

発信者を見極める情報リテラシーが必要

結局のところ、データの信ぴょう性を探る上で重要なのは、情報の発信元を慎重に見極めることだ。
たしかに信頼できる発信者であっても、バイアスを持つことを認識し、その上で情報を吟味する姿勢が求められる。
一方で、発信者が不明瞭な情報に依存することは、事実に基づいた判断を誤らせるだけでなく、商業的な意図や情報操作に巻き込まれる危険性があるのだ。

AIが調べもせずに書いたかもしれないし。
印象操作が目的で書いた文章だらけだ。
そこからは逃げられはしない。

だから探すべきは、「どういう印象を与えようとしているか知っている人で、それでも全体的な品格と知識量を信頼できる、生身の人」という事になると思うだが、どうだろう?

だからこそ、今の時代にそんな人を探すのは、つまり「情報リテラシー」だと言える。
どんなに優れたデータであっても、それを提供する発信者が誰であり、どのような意図を持っているのかを理解することが、真の意味でのデータの信ぴょう性を見極める鍵となる。

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