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祖母の裁縫箱

私は家にいる時は自分で編んだウールの靴下を愛用している。
ウールは洗濯を重ねる度に繊維が絡み目が詰まり、最終的にはフエルトのような質感になる。
そうなると長年共に暮らす老犬のような愛しさが湧いてくるのだ。

子供の頃、祖母が編み物をする時の棒針同士がぶつかるカチカチというリズミカルな音に憧れて編み方を教わった。

母は私の覚えが悪いとキーッとなるが祖母はどんなに時間がかかってもニコニコと待ってくれたので、祖母にべったりくっついて裁縫のいろはを教えてもらった。

とにかく手仕事の好きな人で、常に何か手を動かしていた記憶がある。
節くれだった太い指が、小さな人形の胸に小さな小さな赤い蝶蝶結びを作る様は、何やらもう魔法じみていたものだ。

そんな祖母の裁縫箱は子供の目からはまるで宝箱だ。
大きな菓子の空き箱にはたくさんの仕切りが作られ、細々とした裁縫道具がお行儀良くちんまりと納まっている。
いつ見ても同じ場所に同じ物がある箱の中からは几帳面さが伝わる。

私はよくその裁縫箱を開けてはただ眺めていた。
使い込まれた道具というのは美しいのだ。
使い方の分からない道具を聞くとその道具を使った手芸や縫い方を教えてくれる。そんな祖母だった。

祖母はずい分前に亡くなったが、遺品整理の時に一番悲しかったのは裁縫箱だった。
使い古した道具ひとつひとつに祖母の愛情が宿り、やさしく微笑みかけてくるようだった。
私は裁縫箱を胸に抱いておいおいと泣いた。

今私の愛用している裁縫箱は風情も色気もない工具箱で、開けると二段になり見やすく取り出しやすい。
その中には祖母から引き継いだ道具がいくつかある。
どれも50年くらい前の物だが現役で使っている。

子供の頃に祖母が編んでくれたピンクのモヘヤのセーターは今でも大切にしまってある。
最近は「ニット」と呼ぶ事が多いがやはり「セーター」という呼び方が好きなのは祖母が編む「セーター」のイメージが強いからかもしれない。

ところで全く関係のない話だが、私は男性のセーター姿がとても好きだ。
ゴツゴツした身体を柔らかいセーターが包むあの感じが……。
…と、あまり語ると「癖(へき)」が出てしまうのでこのくらいにしておこう。

何だか大作を編んでみたくなってきた。久しぶりにセーターを編もうか。
祖母が愛用していたあの編み針で。

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