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私の人生7

妻の母親の闘病生活は 私の父親と同じ扱いにした 
 簡単に言うと 何もしていない。
結局乳がんから肺がんに転移して亡くなった。

葬式はびっくりしたけど 豪勢にした
 妻の母親の兄妹がやっていることもあり 親父のときとは 全くちがった
 結婚式も挙げていない私達は お互いの 遠くに住んでいる身内はしらなかった。
 妻の母親の兄妹の人は あまり話せなかったが 悪い人には見えなかった
 なぜ妻の母親があんなふうになったかは 義理父親のせいなのかと感じた。

 今だに命日には 九州から贈り物をしてきてくれている
 しかし義理の父親は嫌われていた
 葬式での食事で酔って九州からの身内にからんでいたし 義理の父親の兄弟も アホなくらい飲んで騒いでいた。
 頭に虫がわいてるのかとさすがにおもった。  
 
ここから大変
 義理の父親はいままでも たいして働かなかったのに 全く働かなくなった
 何の実入りも無いのに働かない
妻の妹も働きだしていたが 食わしてもらうつもりなのか わけがわからない
 そうしてるうちに カード会社から
連絡が入った 又もや謝金だ
 50万ほどだったので 妹と妻とで何とか支払ったみたいだ 
 もうこれっきりで 謝金は無いといっていたから。
 何のことない 半年もしないうちに
別のカード会社から連絡が 今度は400万超えていた。
 しかもそのカードは 義理の父親の弟家族が持っていた。
 名義は義理の父親 カードは弟
誰が 考えても分かると思う
 またしても この兄弟の金絡みの問題がはじまった。
 弟は知らん顔 義理の父親もかばってる。 
答えが出ない お金は返さなくて行けない 私はほっとくしかない。
 結局は司法書士さんに頼んで できるだけ小さくして 払った。
 これで この身内とも縁をきる踏ん切りがついた。

 問題は続く 妻の里では祝い事もくやみ事も 返しなしというのが しきたりらしい しかしあちらこちらの身内から返しがないと 私が言われた
 直接妻に聞いてくれと 支えした
 どんな土地柄やねんと 貰っていなくても 私なら催促しないとおもうが。
 こんな中で育てば 妻のように 誰でも なってしまうんだろうと確信した。

そんなことをしてる間に私たちに三女ができた 長女と一回り離れることになる。

この時も父親の兄弟がしゃしゃり出てきた。
何もしてくれない人間ほど文句を言ってくる。
 お祝いは皆断った。
仕事もそのうちやめると思っていたし
こんな奴らとは働いていられない。
 これだけ南海本線のE駅に 妻の父親の身内が固まっていたら最悪だ。
 私も常識が二つあることに気づいた
一般常識とその村の常識と しかしここのE駅の 常識はかけ離れていた。
 
今度は休む暇もなくうちの母親のこと
 脳血栓で倒れた 一度目は退院できたが 2度目を発症した
 認知症も進み歩くこともできなくなった。
 タイミング悪くその頃僕は仕事を探していた。
 あんな奴らと働いてる場合じゃない
色々と探したけどなかなか見つからない
母のこともありイライラしてる
毎日だった

結局今仕事をしてるタクシーの乗務員になることにした
 タクシーと言ってもなかなか難しい
一人乗りするまでに一か月ぐらいはかかる。
 タクシーの仕事に入ってから2、3年が経った頃だったと思う
 母親の容態が急変していた
まだ医者に呼ばれて説明を受けに行く
 

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