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看取りから学ぶ③墓じまい

↑ バイカウツギ(梅花空木)の花言葉は「思い出」
ほかに「回想」「気品」「品格」「兄弟愛」


少し早いですが、1周忌を終えました。
ご住職様に墓前法要をしていただき
ありがたいお説法も頂戴しました。

お説法のあと、ちょうど
「墓じまい」のお話しをうかがったので
書いておこうと思います。


墓じまい

話しは飛びますが、
家は菩提寺はなく、
東北出身の祖父母が、戦後首都圏に定住し
祖父が生前、市営霊園に準備しました。

宗派は曹洞宗というのみ。

30年以上前の平成元年11月に祖父が他界し、
翌年平成2年の7月に、長男である父は56才で他界しました。

当時の葬儀屋さんに紹介されたお寺さんは
三周忌が終わった頃から、次第に疎遠に。

叔父(父の弟)は次男で自分でお墓を用意する、とのことで
父も眠るお墓は、長男の嫁である母が継承しました。


そして今回。
弟と私で相続となりましたが
嫁の実家のある地方へ移り住んだ弟は
当初から「遠い」を理由に「墓はいらない」と。
他の財産だけはきっちり半分よこせ、と言います。


私はお墓参りもずっと欠かさず行っているので
お墓を継承しても何も問題ありません。

とはいえ、「当たり前」のように押しつけられても。
「お墓はあるのが当然」で
「母が墓守りしてたなら
 一緒に住んでいた姉ちゃんが引き継ぐのは当然」
という弟。


車が便利な場所にあり、家から1時間近く。
私が元気なうちはまだいいとしても
私が免許返上したら、もう行けません。
次は息子が継承します。

弟の「当たり前」のために
私や息子が、お墓の金銭的な負担や
お墓の管理をするのはおかしいと思うんです。


墓守りの覚悟

昔のように、一族が近くに住んでいて
一族でお墓を守っているような風習だったらまだしも。

核家族化で、そもそもどのお墓に
どなたが眠っているのか。

親族一同が集まる機会が減り、
どんな方だったのか、親や親戚から聞くこともなく、
親戚との縁もどんどん希薄になっています。

(…中には、法事になると飛んでくる親戚もいます。)
 …ありがたいことですが、
 こういう時じゃないとみんなに会えないから、と
 楽しんでいるようで
 それもなんだかなぁ、と考えてしまいます。。


そして墓守りは
「誰かがやればいい」という感覚。

そうじゃないんですよね、お墓って。

お墓は確かに「心の拠り所」にもなると思いますし
ご先祖様のお家ということも百も承知ですが。

どこにいても
亡くなった人へ想いを込めながら手を合わせれば、
気持ちや想いは必ず届くと思うんですよね。

それに
現代の「空き家」と同じように
息子やそれよりも下の代で、お墓の維持が負担となり、
いつしか無縁仏になってしまうくらいなら
私の手で、きちんと終わりにしてあげたいと、思いました。


そこで私は腹をくくりました。

祖父母や、父母には申し訳ないけど
私の代で「墓じまい」することを。


日本の現状の法律は
親の面倒をみた/みていない、
介護をやった/やっていない、に関わらず
やってもやらなくても
財産分与は法律通りだそうで。。。


言葉を選ばず言ってしまえば
「やらないもん勝ち」
善意の搾取?にもなりうると思います。

最期まで一生懸命、その様から「生と死」を学び、
心や気持ちを尽くして
生ききるまで看取り、恩返ししたとしても
法律はそれを認めない。

もちろん遺言書があれば、あらかた問題ないようですが
80代の親に「遺言書を書いて」とは言えないです。。

…だからこそ「エンディングノート」は必要だと思います。
 遺言書のように執行力はないけど
 言葉で伝えられないことを書き留めておくことで
 遺された家族が、あれこれ迷わないですみます。


私の親でもあるけど、弟の親でもある母。
父が亡くなり母1人になっても、
この30年以上、年に1~2回の電話だけで
「オレは(やるべきことは)やってきた」と豪語します。

孫であるウチの息子やそのお嫁さんにお世話になっていても
弟からは感謝の言葉は一言も、ひとかけらもなく。

弟に、
「墓じまい」する費用も負担してほしい旨、伝えると
そもそも「墓じまい」に猛反対。
その後、渋々納得したものの、
全部オレが持つのはおかしい。負担するなら半分。と。


価値観の違い

気持ちがないなら、
お金で解決するしかない世知辛い世の中で。

姉弟なのに、
子どものころ、私が思い込んでいた「弟」とは
まるっきり違う人間になっていて

時間の長さと、
弟が歩んできた道を垣間見たような
そんな気持ちにもなりましたが、


世の中には、もちろんいろんな人がいて
それぞれ考え方も価値観も違う。

「受け入れる」「受容する」
「相手の気持ちになって考えてみる」
…私がそこを意識すれば
縁を切ることもなかったかな、と思いますが…

私はともかく
母の気持ちや想いを、
受け取ろうとも、理解しようとも歩み寄らず

母の気持ちはいらない、カネだけよこせ、という
母の気持ちを蔑ろにする泥棒みたいで。。
弟が欲しいのは、カネ。
私が欲しいのは、弟の母への感謝や気持ち。

たった一言の「ありがとう」で済んだのに
弟に期待したことがいけなかったです。


これはお互いに相容れず。
ここで縁を切らなかったとしても、
弟の立ち居振る舞いや言動に
「疑いの目」で見てしまうだろうから。

今まで通り、
物理的に遠くにいて連絡を取らない人、と
思っていることにします。


これから

やっと一周忌を済ませたところです。
辺鄙なところにあるので車で行きますが
私もまだかろうじて、車でお墓に行くことができます。

父の弟である叔父と、父の妹である叔母が
まだ健在で
お二人からみれば両親(私からみれば祖父母ですが)も
眠っているので
まだ墓じまいはできません。


私が生きている間、
「もうお墓参りはムリ」となった時、
墓じまいをしようと思います。


ただ「墓じまいをする」と決めたことで
スッキリしています。

その時、
息子が継承してくれるなら喜んでお願いするし
息子が「いらない」と言えば、
墓じまいの手続きをする。

終活の一つですね。


長くなりましたので
続きはまた次回、21日に纏わるお話しをします。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。


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