見出し画像

故郷がなくなって行く時に

今日の記事はいつもの介護関連ではありません。雑感的な記事になります。

私は生まれ育った故郷を出て、現在は大阪で暮らしています。

生まれ育った町には大学はありませんでしたし、就職先もそんなにありません。

ですので、高校を卒業したらほとんど皆、一度は大阪や東京などの都会に出て行きます。

進学する者もあれば就職する者もいます。私は就職でした。

そうしてあっという間に時間は流れ、両親も祖父母も天に帰り、大家族で賑やかだった田舎の実家は空き家になってしまいました。

空き家になっても、ほったらかしてしまうと田舎の場合、獣が住み着いたりしてご近所に迷惑を掛けるといった事もあり、2ヶ月に一回程度は車で3時間ほどかけて掃除をしに帰省しています。

そうした事をもう丸9年も続けているのですが、田舎の環境がどんどん変わっていく様も見続けています。

よく言われることで、家は人が住まなくなるとあっという間にダメになるというのがありますが、地域の環境も同じだなと思います。

この9年間で私の実家はどんどん朽ち果ててきているわけですが、同じ様に故郷の里山もかつての美しかった故郷ではなくなってきています。

これは地域の人口がどんどん少なくなり、特に子供がいなくなった影響だろうと感じます。

地域に子供がいれば、村の行事も大人達が頑張って行います。

私が好きだった行事に「地蔵盆」という行事がありました。

夏休みも終盤の夕暮れ時に近所のお地蔵様にお参りすると、そこで待つ村の人が子供にお菓子をくれます。

私は毎年それをとても楽しみにしていたのですが、地蔵盆が近づくとお地蔵様がキレイにお化粧されるのも何だか好きでした。

私の故郷で、この地蔵盆が現在も行われているのかどうかは知らないのですが、行われていたとしても、村にはほとんど子供がいません。

子供がいなければやっていたとしても随分寂しい地蔵盆だと思います。

どうして地蔵盆の話しをしたかと言うと、お地蔵様は少し山に入った場所にありました。

行事を行うには当然そこに行くまでの道をキレイにしておく必要があります。

都会のようにアスファルトで舗装されているわけではありませんので、山道というのは人力で守る必要があります。

ところがそうした事も、だんだんと行われなくなっていて、今では昔簡単に行けた場所にも中々行けない状況があちこちに見られます。

キレイに手入れされていた棚田も今ではただの荒れ地になっています。

そうした風景を見る度に、故郷が無くなっていく様な気がして胸が締め付けられます。

勿論、私にそんな事を言う資格が無いのも分かっています。都会に出て戻ってこなかったのですから。

「故郷は遠きにありて想うもの」という言葉がありますが、美しかった故郷は、もう記憶の中にしかありません。


◎大阪なんばパークスJEUGIAカルチャーセンター
「介護食の基礎知識 料理を作らない料理教室講座」お申し込み受付中です。
https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_66-50093.html

◎アゼリアカルチャーカレッジ
「介護食の基礎知識」調理実習付き講座(池田市立カルチャープラザ内)
お申し込み随時受付中。
https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_22-50720.html

終わりの見えない介護生活を少しでも楽しく!美味しいものがあればそれで幸せ。そんな活動をしていきます。サポート大歓迎です。