今生の別れかもしれない瞬間
私が30代の半ば頃、母が大腸ガンの末期宣告をされました。
いきなり余命1年という診断結果でした。
当時私は実家から車で3時間ほど離れた場所に暮らしていましたので、そんなに頻繁に実家に顔を出すことはしていませんでした。
せいぜいお盆と正月とゴールデンウィークくらい。たまに特別用事があれば帰ることはありましたが、基本的には年に3回の帰省を習慣にしていました。
それがいきなり余命1年ですので、そんな悠長な事をしていてはあと何回母に会えるかわかりません。
それで週末に時間があればなるべく帰省する事にしたのですが、手術をしてからしばらく経つと体力も回復してとても一年後に死ぬようには見えませんでしたので、段々と実家への足も遠のいていきました。
結局母は余命宣告を受けてから4年程は生きたのですが、最後の1年は体力も落ちてきていつ死んでも不思議ではない状態で生きていました。
さすがに私もその頃には毎週末には必ず実家に帰省して、母が入院していた病院で数時間一緒に過ごしては自分の家にとんぼ返りする様な事をしていました。
別に実家に一泊してゆっくり帰れば良いのですが、母の居ない実家には世話の焼ける父が独り居るだけですし、その父と二人で食事するのも面倒な気がしていつもとんぼ返りしていました。
そんな生活を続けて数ヶ月も経った頃でしょうか、母に病院から外泊の許可が出ました。
そしてそれが最後の外泊になるだろう事も何となく分かっていました。
それで病院に迎えに行って家に連れて帰る役目を私が引き受け、実家で母を迎え入れる役目を遠方に暮らしていた姉に頼んで来て貰いました。
季節は春でした。
その年の春はサクラが遅く、母を連れ帰った4月後半の頃でもまだ散らずに残っていました。
私は母にサクラを見せてやりたくてわざとゆっくり車を走らせたのですが、道路脇に咲くサクラの花を眩しそうに眺める母の横顔を今でもハッキリ覚えています。
そうして実家に到着して、すっかり痩せて軽くなった母を抱きかかえるようにして実家にあげ姉に託しました。
その日私は早く自分の家に帰るつもりでしたので、少しだけ休んだらベッドに寝ている母のところにいとまを告げに行きました。
その時です。
母が私の顔をじっと見て、突然ぽろっと涙をこぼしました。
そして「行ってしまうんかいな」といかにも悲しそうに言うと更にぽろぽろと涙をこぼします。
私は何ともいたたまれない気持ちになりましたが、仕事の事もありそのまま実家に留まるわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで帰路に就きました。
結局この時の帰宅が母にとって本当に最後の帰宅になり、それから3ヶ月ほど後に母は亡くなりました。最後の2ヶ月くらいは痛み止めの麻薬のせいで意識もハッキリせず、ただ病室のベッドに横たわっているだけの日々でした。
多分、涙を見せたあの時の母は、自分の息子と自分の家で過ごす時間が、これで最後だという事を分かっていたのだと思います。
そして私にとっても、まだ母らしさが残っている母と会話出来た最後の機会となりました。
この時の母の涙を思い出す度、あれが母との本当の意味での今生の別れだったのではないかと思えて仕方ありません。
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