見出し画像

村から井戸が消えた日

私が18歳までを過ごした兵庫県の日本海側の村では、私が高校に入る頃(昭和50年代後半)まで、いわゆる上水道がありませんでした。上水道がないので勿論下水道もありません。

各家庭ではそれぞれに自家専用の井戸があり、その水をモーターで汲み上げて使う仕組みでした。

水をモーターで汲み上げるので、使っている感覚としては、普通の水道を使っているのとなんら変わりはありません。台所でも風呂場でも水栓をひねれば水が出てきます。

ただ、出てくる水は井戸水ですから、夏場は冷たく冬は暖かく感じる美味しい水でした。

夏場などは桶の中にスイカを入れて蛇口から水を落としておけば充分に冷えたスイカが食べられたものです。

それが何故か町の方針で、各家庭に上水道が引かれることとなり、村の全ての家で井戸水は隅っこに追いやられてしまいました。

私は当時15歳か16歳あたりだったのですが、当時の私の目から見てもバカな事をするものだなと思いましたし、それは今でも変わらずそう思います。

今まで何の不自由もなく「無料」の美味しい水を使えていたのに、わざわざ「有料」の塩素臭い水を使う理由が私には分かりませんでした。

井戸というものは、使わなくなれば自然と枯れてしまう事も多く、私の実家の井戸も長い年月をかけて段々と枯れてしまい今では使う事は出来なくなっています。

時々、水道水がそのまま飲める国は日本と他には数カ国しかなく、日本の水は素晴らしいという話しを聞きます。

確かにそうかもしれませんが、それは毒にならないといったレベルの話しで、水道水が美味しいかと聞かれれば頭に?マークが飛び交います。

今でも覚えているのですが、私が小学生低学年の頃、母に連れられて大阪の叔母の家に泊まりに行ったことがありました。

その時に飲んだ水が、あまりにも薬臭くてとても飲めなかった事がありました。

子供の鋭敏な味覚だから感じたのでしょうが、大阪の人達はよくこんな水を飲んでいるなと子供心に思いましたし、母や叔母にもそんな風に言ったのを覚えています。

最近つくづく思うのですが、社会というものは、一度ある方向に舵を切ったらもう止めることが出来ないのだなと思います。

水道に関しても、上下水道を全国に行き渡らせるといった行政の方針でそうなったのだと思いますが、その影で失うモノもあるという事です。

村から井戸水が消えてもう一つ消えたモノがありました。それは「ボットン便所」です。

下水が整備されたので各家庭で水洗便所が使えるようになったからです。

これは実際に暮らす中では便利で清潔になったと思いましたが、そのせいで畑に人糞を蒔く事もなくなりました。村に何カ所かあった「肥溜め」もキレイに埋め立てて整地されてしまいました。

私の田舎では、恐らく肥溜めを実際に見た事があるのは我々アラ還世代が最後なのではないでしょうか。

だからどうだといった話しではなく、なんだか自分も歳を取ったなと感じた次第です。


◎大阪なんばパークスJEUGIAカルチャーセンター
「介護の為の食事づくり講座」お申し込み受付中です。
https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_66-50093.html

◎アゼリアカルチャーカレッジ
「ユニバーサルレシピ」調理実習付き講座(池田市立カルチャープラザ内)
お申し込み随時受付中。
https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_22-52418.html


終わりの見えない介護生活を少しでも楽しく!美味しいものがあればそれで幸せ。そんな活動をしていきます。サポート大歓迎です。