「ねじれの位置」について考えた話

ねじれの位置。
それは三次元空間において現れる不思議な存在。
我々の生きる世界には無数のねじれの位置が存在している。
つまり、あなたもねじれの位置の一部、かもしれない。

「ねじれの位置」なんだか懐かしいですね。
中学生一年生の数学で出てくるらしいです。
Wikipediaで定義を調べてみました。

空間幾何学において 「空間の2直線 a 、b がねじれの位置にある」というのは、それら2つの直線が同一平面上にないとき、すなわち a 、b によって1つの平面が決定されないことである

Wikipediaより

頭が痛くなりますね。
こういう辞書的な定義をちゃんと読もうとして頭が痛くなる現象に名前をつけたいですね。あの、あれ。「アイスクリーム頭痛」みたいに。「かっちり文章頭痛」はそのまんますぎかしら。

数学の教師をしている友人がいるんです。彼が「ねじれの位置ってなんで教えるんだろう」的なことをつぶやいていたんですね。「たしかに」と、思いました。そこで、ねじれの位置について考えてみたら、なんだかちょっと面白くて、今この文章を書いています。
今日は、僕たちも「ねじれの位置」かもね、って話を書いてみます。

ねじれの位置について正確に知りたい人はググってみて下さい。
たぶん僕がここで言葉で説明するよりもよっぽどわかりやすいです。

僕がおもしろいと思ったのは「ねじれの位置」が
「三次元空間になると突然現れる」というところです。

どういうことかというと
平面上では2つの直線は、交わるか、交わらないか、の2択です。
交わらない時には「平行」っていう特別な名前がついています。

ところが、これが空間になると
2つの直線は、交わるか、平行か、そのどちらでもないか、という3択目が出現するんです。

ね!ちょっとなんだか不思議そうな気がしてきたでしょ!
この「どちらでもない」「ねじれの位置」と呼ばれているんです。

へー。ですね。

さて、これを「へー」から少し身近に感じてもらうために、ちょっと見方を変えてみます。平面だの空間だのと言わずに、個人の関係、集団の関係、として見てみます。ちょっとだけおもしろそうじゃないですか?

個人の関係。
これは平面の関係。
選択肢は、交わるか、交わらないか、しかない。
極論言えば、人間関係の選択肢はこの二択ですよね。

交わるとは、良く言えば交流関係、悪く言えば対立関係、みたいな。
交流していても、対立することもあるし、対立していた人と交流が逆に深まる、みたいなこともありますね。まあ、色々な意味で交わるです。

交わらないとは、関わらない関係。
なんか合わない人、関わらないようにした人、その人との関係がこの関係。これには実は二種類あって、同じ方向を向いている場合と、真逆の方向を向いている場合。似てるからこそ、なんか合わない、正反対で、やっぱり合わない。人間って難しいですね。

集団の関係。
これは空間の関係。
さっき言ってた「ねじれの関係」が出てきます。
個人の関係での選択肢は、交わるか、交わらないか、でした。
でも、集団の関係での選択肢は、交わるか、交わらないか、のほかに「交わらないけどそこにいる」という第三の選択肢が出現します。
「なんとなくそこにいる」です。これ実際に集団だとありません?

例えば、親戚の集まりとか。
よく話の合ういとこ、知ってはいるけど話はしないおじさん、それと、あの人誰だっけっていう親戚の人。こういう人とは「ねじれの関係」かもしれません。

例えば、会社の組織とか。
部署が一緒で関わる人、一緒だけど苦手であまり関わりたくない人、それと、何やってるかもわからない他部署の人。こういう人とは「ねじれの関係」ではないでしょうか。

僕たちは何かしらの集団に属しています。会社、家族、友人、大きな単位では社会という集団に属しています。大きな集団であればあるほど、自分にとって「ねじれの位置」にいる人が必ず存在します。でも、「ねじれの位置」にいる人がいるから社会という空間は成り立っています。全ての集団は「ねじれの位置」の存在によって成り立っているのかもしれません。

僕たちはなんでもシンプルにしたがるけれど、社会はとても複雑で、実は「ねじれの位置」だらけだったりするんじゃないか。
僕の生きてる今、この瞬間、ねじれの位置にいるあの人が、僕の今夜の夕食の白米を作ってくれている。僕たちはそういうねじれの位置にいる人たちのおかげで生きていられている。「ねじれの位置」に感謝。感謝。

あなたにとっての「ねじれの位置」にいる人はだれでしょう。
あなたは、だれにとって「ねじれの位置」にいる存在でしょう。
目の前の人に感謝されるだけが存在の意味ではないし、価値ではない。
あなたが出会っていない、あなたには見えていない「ねじれの位置」の存在があなたの本当に感謝するべき存在かもしれない。
だれからも感謝されることがないあなたは、実は多くの人の「ねじれの位置」にいて、本当は真に感謝されるべき存在なのかもしれない。

僕たちは「ねじれの位置」の一部、なのかもしれない。

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