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短編小説|青年A

特に何もない一日だった。一日中パソコンに向き合っていたけど、結局は狭い部屋の中でじっとしていただけだった。僕も、安部公房の小説に出てくる箱男なのかもしれない。箱の中からこっそりと世界を覗こうとする卑小な人間。

夜暗くなってから、買い物に出かけた。僕が「日本の小説家にはニートみたいに家に引き篭もる人が多いけど、海外の作家には少ないね」と隣を歩く彼女に言うと、「そうね、日本の小説は畳半畳分とか言って揶揄われるもんね。海外の作家は文武両道じゃないと発言権ないまである」と、あまり関心がないみたいに遠くを見ながら言った。

「俺はもっと社会批判とかできるようになりたいな。自分の作品で。引き篭もるんじゃなくて。ジョージ・オーウェルみたいにさ、」スーパーからの帰り道、重い食材が入ったビニール袋に体を傾けながら歩き、少し息を切らしながら言った。なんの返答もなかった。彼女も、重そうにスーパーの袋を持って歩いていた。「カメラ買おうかな。」しばらくの無言の後、ぽつりと呟いた。彼女は映画を撮っていて、それに必要な機材を今探しているらしかった。まるで僕の声が届いていないみたいだ。

俺もな、いつかいい作家になりたいんだけどな。そう思ったけれど、口には出さなかった。10メートルほど先に、僕たちが住んでいるアパートへと続く登り坂が見えた。その坂には、首を垂れて坂を見下ろす街灯が規則的に並んでいて、青白い冷たい光を放っていた。僕はその坂を誰に見られているわけでもないのに、周りに不審の目を向けながら、こそこそ登っていった。

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