生活経営独白①

遠くの事について話そう。
あれは、まだ僕がこの辺りで有力な同盟者と協調関係にあった頃、その頃は今よりもずっと外交的だったので、心の往来がよくあった。
もちろんそれは今となって影も形もないので、時限的であったわけだが、ともかく今とは違っていた。
あの頃は同盟者は数人いて、生活上に登場する頻度もままあった。
彼ら彼女らは、まったく全部の好みが一致しているわけではなかったし、それなりに細かな政治的な腐心も必要としていたけれど、それでも定期的な往来と、売り買いがあり賑わいがあった。
正直当時はそういった賑わいを快く思っていなかった節もあったのだが、一向に無視して関係を続けていた。
無視していたのは、ともかくの必死で、心うちの機嫌を取る余裕があまりなかったという事もあるが、賑わいにどこか感謝してからかもしれない。
けれど、そういった人の優しく善良な心の一端は、しばらくたって輝きを鈍らせる事になる。
どうやら、人間の慢心に限界はないらしい。

生活の海原は少しづつ穏やかになり、波消しブロックに打ち付ける白波もとんと見なくなると、今まで風雨で崩れそうな梁を必死に抑えていた活力は開拓へと注がれる事になる。
僕としては、そのような開墾はまったく経験がなく不得手の部類だと直感していたが、禍いが転じてうまく滑りだし、ことはいい方へと転がりはじめた。
手を加えた土地に新たな息吹が駆け抜け、こじんまりとしながらも十分な耕作地となったのだ。
初めのほうは酷く緊張していたけれど、土地が肥沃になり、作物の収穫が増えるに従って土地に対する愛着はますます高まり、元住んでた所と変わらない、もしかするとそれ以上の心地よさを感じていたかもしれない。
その時代はしばらく続き、新しい耕作地と生活上の往来の二つで車輪を動かす事になる。
またそれに加え、旧来の土地に置いてきた関係もごく少数ながら少ない頻度ではあるものの交易があった。
その交易は、上がる利潤よりもまさにその航路がまだ生きている事が僕をとても元気づけていた。

しばらくのち、生活上の往来はめっきりなくなる事になる。
それは決まっていた事で危惧していたけれど、それを恒久的にする事は少なくとも僕には不可能であった。
けれど、最終的に可能性をだったのは僕自身に責任を求めるところだろう、とどのつまり、すがることをよしとしなかったのだ。
僕は突如として費用対効果を持ち出し、今まで無視してきた事を検討して数字をはじいた。
多分これも失敗の一つだったのだと思う、心地よさにすっかり慣れると、わずかな煩わしさを嫌悪したり、少額の負担に不平を漏らす事になる。僕の決断にはそのよう事が理由に当てられるだろう。
よって、財布の中身は幾分心許なかったが、一方で耕作地の方は順調で、一層広がりを続けており、食べて行く分には苦労しないだろという予測がたっていた。
そして往来がなくなってからしばらくして、僕は耕作地をより改良しようと試みる事になる。
実の所、今にして思えば耕作地のこの頃以降の目的はある作物の栽培にあったといるだろう。
もちろん、当時はそのつもりを自覚していなかったと思う、がここで一挙に改革する事になる。すなわち、商品作物の栽培である。

僕は今までこの手の事業に悉く失敗しており、自分の生活の中にそのタスクを組み入れる事はないだろうと半ば諦めていた。
けれど、もしかするとそういう無欲さが幸運を引き寄せたのかもしれない。
とはいえ、無欲というより無気力と絶望感に打ちひしがれるといった表現が適切である気もする。
それに耕作地への注力には、生活上の往来がなくなって行く事への大きな心配があったと思われる。
また、ある一面として往来が停止するまでのアディショナルタイムは海に出かけたりして、どことなくよくない雰囲気も漂っていた。
だか、だからこそ耕作地ひいては商品作物に注力して行く事になる。これはまさに賭けだったのだ。

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