下人はやっぱり「勇気」を振り絞ったのだと思う
1.ざっくり
羅生門の門の下で盗人になることを積極的に肯定できない下人が雨宿りをしていた。生きるためには盗人になるしかないが、問題を先延ばししてとりあえず羅生門の楼の上へ。そこで老婆に出会い、老婆の論理を逆手に取るかたちで、引剥(老婆の着物を剥ぎ取る)をする。下人は梯子をかけおり、夜の闇に消えていく。下人の行方は誰も知らない。
2.老婆の論理
・悪に対する悪は許される
・生きるために仕方なくした悪は許される
この老婆の論理が
・悪事を働いていた老婆に対する悪は許される
・自分は生きるために仕方なくしたのだから許される
と、下人自身が悪事を働くことを肯定したのです。
で、引剥するんですけど
老婆って売れるような服着てないですよね
下人の行為って、実益はあまりないですよね。
なにか象徴的な意味があるのでしょうか。
勇気とは、盗人になる勇気です。
なぜ盗人になることを勇気と言えるのか。
盗人になる=悪事を働こうがこの世の中を生き抜いてやる、ということになるからですかね。
好きを仕事に、という時代ではなくて、
手段を選ばずに生きる、
しかないわけですから。
引剥は実益はなくても、これからの世の中を何が何でも生き抜いてやる、という象徴的な行為だったんですかね。
そう考えると、真っ暗闇に消えていくシーンは必ずしも悪に堕ちていくという描写ではなくて、単純に先の見えない将来を暗中模索して生きていく、とも捉えられそうです。
3.エゴイズム
下人って、こんな世の中でも悪事を働くことに躊躇していたんですよね。生き抜く、という意味では、この躊躇は命取りだったのでしょう。
「さっきまで飢え死を選ぶって言ってたのに、今は盗人になっちゃって。コロコロ変化してるね。エゴイズムだね」
なんていう言葉では、きっと説明不足なんでしょうね。
参考文献
『羅生門』芥川龍之介、青空文庫
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