私の死生観
以前様々な死生観をまとめた記事を投稿した
ここでは私の死生観については触れていなかったのだが、今回は私が考える死後の世界を紹介したい
3つくらい候補があるので3つ挙げておく
①セーブポイントみたいな場所に飛ばされて来世を設定する
天国や地獄というような場所ではなく、死んだ直後に物質もない「概念」「魂(精神)」みたいなもので満たされた場所に飛ばされる
そこで管理人?スタッフ?のような存在に「あなたはこのまま死んで次の人生を歩むこともでき、元の死んだところから生き返ってやり直すこともできる。再び自分として生まれてもいいし、他人や他の生物として生まれ変わることもできる」と告げられる
自分の大切な人が死ぬのを待って一緒に次の人生を考えても良い
ただ、生まれる前にある程度人生を設定する(どんな家庭に生まれるか、時代はいつか、いつ死ぬかなど)
セーブポイント自体には何もないが、念じればすぐ自分の願いを叶えられる(それはそれですぐに退屈になる)
どんな場所、時代にも生まれ変わることができ、またどんな生物になることもできる
「あの世」で設定を考えて、「この世」で実際に体験する
この世はリアルなゲームや仮想現実のように捉える考え方だ
②海に還って輪廻を待つ
これは、高校生のとき自分や周りの人が死ぬのが怖くなってネットを漁りまくったときどこかで見た考え方だ
仏教が関係していた気がする
そもそも人間を含めたすべての命は海のような場所から来ていて、今存在するそれらの命は海の水をコップに淹れただけのものだ
死んだらその水はコップから海に還り、他の海の水と一体になる
そして時を経てまたコップに汲まれて新しい生命になる
その中にかつての「自分」の一部が含まれるかもしれない
元他人、元他の生物、元自分がひとつになって新たな生命が生まれる
なんとなく科学的にも感じられる
この考え方を初めて見たときは、死んだら自分や周りの人たちの個性がすべて消失してしまうことになるので、悲しい考え方だと捉えていた
しかし、最近はこの考え方も素敵だなと思う
個性は消失するのではなく残り続け、この人生の儚さやだからこその大切さや美しさもある
すべてと一体になれるのだから寂しくもない
しかも時間が無限に続くと仮定すれば、果てしない時間をかけて今の自分や周りの人が生まれる確率もゼロではない
私が知っている死生観の中では最も美しいものだと思う
③記憶を失っても今好きな人たちと何度でも共に人生を歩む
今までの人生で出会ってきた周りの人たちがずっと好きな私にとっては1番都合のいい死生観だ(もちろん私が勝手に考えた)
死んだ瞬間にパッと生まれ変わり、来世を生きる
どんな時代か、どんな国か、どんな家庭かはわからない
死ぬ前の記憶を失っているため、毎回1度目の人生を歩む
今好きな人たちとは再び家族や友達などの周りの人としてまた巡る
また初めての感動からやり直す
出会い、仲良くなり、関係を築くということを無限に繰り返す
そうだとしたら虚しいと言う人もいるかもしれない
だが、私はこうだったらいいのになと思っている
周りの人に飽きることもなく、だんだん仲良くなる行程にわくわくして、それぞれをかけがえのない存在として見続けることができる
自分か相手のどちらかが死ぬことになっても、残されたほうが死んだらまた巡り合えると信じられる
死んだら記憶がリセットされるため今周りの人たちを大切にしたいとも思える
今関わりがある人たちは前世でも出会っていたのかもしれない、と思うとなんだか幸せになる
前世でも、前前世でも…私は同じことを考えていて、その通りになっているのかもしれない
最近私が最も主流としている考え方だ
まとめ:結局私たちは今を生きるしかない
色々私が死後の世界について考察した結果、得られた知見がそれだ
死後の世界がなかったり周りの人たちと会えない世界に飛ばされるのだとしたら、今のうちに周りの人たちとたくさんの思い出を作ろうと思える
もし死後も今の周りの人たちと一緒にいられるとしても「今の私」「今の周りの人」は今この瞬間だけの存在だろうから、やはり「今の周りの人たち」と思い出を作れるのは今だけと言える
というか、常に遠い(とは限らないけれど)未来である死後に囚われていたらいつまで経っても「今」を満喫できない
結局、私たちは自分が納得できる死生観を確立し、死の恐怖や人生の虚しさをある程度受け入れ、今を楽しみつづけるしかないのだろう
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