教員として働くって鬱との戦い?③

  1. 目次

  2. 3校目との出会い

  3. ちょっとしたハプニング

  4. 充実した学校生活

  5. 別れ

  6. 終わりに

  1. 目次
     今回はこの4つについて実際にあったことを書いていこうと思います。
    前の2校も充実している部分は確かにありましたが、それ以上に思い出深いところがありました。優しい先生方、個性豊かな生徒達に恵まれたいい学校でした。

  2. 3校目との出会い
     2校目で働いている時に、辞めてしまおうと思った時にネットで求人掲載しているサイトを見て「ここの学校ならもっと色々な事にチャレンジできそう」と思ってハローワークを通してこの3校目に応募しました。書類審査、筆記試験、面接を経て晴れて4月から働かせてもらうことが確定し、もちろん3月31日までは2校目の一員なので、最後までしっかりと仕事をしました。

  3. ちょっとしたハプニング
     内定も頂き、次のところへ向けて気持ちを整理していると、突然携帯が鳴り、画面を確認してみると知らない番号から。恐る恐る出てみると、なんと教育事務所からの電話でした。「中学校で常勤講師として働いてもらえないか」とのお話でした。記憶を巻き戻してみると、教育事務所へ行き、講師登録をした事実はありました。公務員は3月の終わり頃に人事異動が発表されることは新聞等でも知っていたし、こんなにギリギリに電話が来るとは思いませんでした。むしろ、自分に電話が来るとすら思っていなかったのが事実でした。
    公立中学校で働くことが自分が中学生時代からの夢だったので、気持ちがかなり揺らぎました。折角掴んだチャンスを逃していいものか・・・悩み抜いた結果、公立中学校で働くことをお断りさせて頂きました。今思うとかなり勿体無いことをしたと思っています。一番の要因は今年度は働けても、次年度はどうなるか分からないという不安があったからというものでした。しかしながら、今は教員が足りていない時代。心配などせず、飛び込む勇気がもっとあれば・・・。

  4. 充実した学校生活
     この学校もICTに力を入れていて、某ウイルスのため、ビデオ通話機能を使っての授業が少しの間行われました。この期間に、機械に疎い自分は周りの先生に聞きながら、少しずつ使い方を覚えていきました。機械に疎いくせにディユアルモニターなんてカッコつけてやってみたりしました。単に作業効率を上げるためだったのですが、いつの間にか、機械に強いというレッテルを貼られていました。正直、不得意です・・・なんても言えるわけもなく。恐らく周りの先生も気づいていたのではないのかと、今振り返ると思います。
     生徒の通常登校も始まり、自分は2学年の副担任として配属されました。基本的にあるクラスに張り付きで朝の会や終わりの会、学活など、基本的なところを後ろから勉強させてもらっていました。その時生徒につけられたあだ名が「後ろの番人」でした。年齢も比較的近いため、ナメられやすいところはありますが、なんだかんだ線引きはしっかりできていたし、信頼されている部分もあるからこそ、そういうあだ名をつけてくれたのかなと思っています。
     授業は1・2年生でトータル180人くらいをみていました。コミュニケーション英語と英語表現とあり、レベルも特進クラスから通常クラスまで教えていました。一度言ったらなんでも頑張ってやってしまう特進クラス、何度言っても中学上がりの1年生は言うことを聞かない、クラス担任にも何度も相談しながら、進めていきました。宿題を出すという概念があまりなかったようで、出さない生徒は個人的に声がけをして、なんとか出すようになってくれて、しつこく言ってればいずれは分かってくれる。実体験できてよかったと思います。
     部活はサッカー部でしたが、主に会計担当であまり部活に顔を出すこともありませんでした。そもそも、放課後に特進クラスは7時間目があったり、グラウンドまではかなり遠いということもあり・・・。練習試合や大会には参加しましたが、何がなんだかさっぱり・・・でした。そんな中、授業担当していたクラスの生徒が軽音部で誘われて部室に行ってみることに。大学時代に少しだけバンド活動をしていたので、その時の気持ちが蘇ってきて、こっちの部活に配属してもらいたかったなぁと感じていました。
     ここでも少し事件が。自分が知らないところで、文化祭でギターを弾くと言うことが決まっていました。訛り切った指を動かすこと、曲を聴きまくり、ひたすら練習することを家に帰ってからする日々が続きました。本当はバンドに混ざりたかったけれども、部員達の晴れ舞台を濁すわけにはいかないので、前座で弾かせてもらうことに。時間の都合上、氣志團の「One Night Carnival」を1番だけを弾いてとっとと退散。学ランにサングラス、それっぽいカツラを被りロリロリなギターで頑張りました。終わってからたくさんの生徒からよかった、かっこよかったなどたくさん言葉をもらえて嬉しかったなぁ・・・と。
     時系列的に順番がおかしいが、妻や母から、「教員採用試験受けてみなよ。前に電話があったのも何かの縁だと思うし、もしかしたら受かるかもしれないよ」と言われ、授業準備の合間を縫っては教員採用試験の勉強も同時並行。
     奇跡的に1次試験突破。この時に、校長に頭を下げて推薦状を書いてもらいました。1年も働いていないのに、きっと快く思っていなかったはずなのに、書いていただき、無事2次試験も突破することができました。でも、生徒達にそんなことは言うことはできるはずもなく、裏でコソコソと準備をしていました。

  5. 別れ
     離任式の時、多くの生徒が、「えぇ・・・」と思ったことでしょう。1年しかいなかったのに、もう辞めてしまうのかと。特に好いてくれていた生徒が多かったので、かなり泣かれて大変でした。英語科の先生や2学年の先生方、事務の職員の方達からも「頑張れ」と笑顔で送り出してもらいました。
     手紙や餞別、花束などたくさん頂いて、迷惑しかかけてないようなペーペー教員にここまでしていただけて、感謝しかありませんでした。
     たった1年だけでしたが、密度が濃すぎるくらい毎日が充実した学校での生活でした。

  6. 終わりに
     長くなりましたが、今回はここまでで。何かしら参考になることはあったのか、わかりませんが。ちなみにこの学校では鬱の症状は何一つ出ませんでした。やはり、職場や人間関係が大切なんだなと改めて感じました。

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