ジャファーはアラジンの何なのか

はじめましてですが、物語論が好きなので、今まで見た映画やマンガから感じたことなどを。

キャラクターの役割論というのがあって、
その中に「シャドー」という概念があります。
これは、「主人公に対して負の方向で自己実現をしたキャラクター」という考え方が分かりやすいでしょうか。

例えば、『スターウォーズ』の主人公、ルーク・スカイウォーカーに対して、ダースベイダーは同じジェダイの騎士でありながら、暗黒面に落ちたキャラクターです。

また、『羊たちの沈黙』のクラリスに対して、レクター博士はクラリスの中の影を体現するキャラクターだったりします。

…という中で、「これはシャドーだな」と映画を見ながら思ったのは、
『アラジン(実写版)』の中の「ジャファー」です。

実はアニメ版ではそういう設定になっていないのですが、
ジャファーは、アラジンと同じく貧民街のコソ泥だったという出自を思わせる場面が映画の中にあります。

また、特に実写版の『アラジン』は、「本当の自分を偽って生きるべきか」ということがテーマとして感じられます。

(このテーマは、身分を偽っているアラジンだけではなく、女性であるが故に本当の自分を認めてもらえない?ジャスミンに関しても描かれています)

物語としては結局、アラジンはジャスミンに本当の姿を明かすことで彼女と結婚し王になります。つまり、

「貧民出身という『本当の自分』を明かし、王になった男」です。

そしておそらく、ジャファーはアラジンの「シャドー」、つまり全くの鏡になっていて、

「貧民出身という『本当の自分』を隠した続けて、王になろうとした男」

というキャラクター設定をされたんだろうな、と思います。

個人的には、ハリウッド映画はかなり論理的というか、型を基にストーリーやキャラクターを作る傾向がある(逆に言うと論理がきちんとしている)ので、アラジンに関しても実写化に対してそのあたりを練り直したんだろうな、と感じました。

とはいえ、アニメ版も実写版もそこまできちんと見てはいないので、
違う見方もあると思います。
あくまで、解釈の遊びということで。

参考図書:大塚英志「キャラクターメーカー」星海社新書

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