芸術と潜在意識 創造活動とは何か?:転載にあたって
=人物・用語説明=
* 今回、言説を参照する人物 *
笠原敏雄:小坂療法から出発し、ストレス・トラウマではなく患者本人の許容範囲以上の幸福が心因性症状の原因になっているという、幸福否定理論を提唱。”感情の演技”という方法で、患者を幸福への抵抗に直面させ乗り越えさせる、独自の心理療法を開発。また、日本を代表する超心理学者でもある。
グラツィエラ・マゲリーニ:イタリアの精神科医。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に運びこまれる外国人観光客の症状を記録し、スタンダール症候群と名付ける。
* 用語説明 *
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。
抵抗:幸福否定理論で使う”抵抗”は通常の嫌な事に対する”抵抗”ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。
スタンダール症候群:イタリアのフィレンツェで、観光客が起こす発作的な心因性症状。芸術作品鑑賞中や歴史的な建築物などで起こす事が多い。フランスの小説家、スタンダールが同様の症状を発症したことからスタンダール症候群と名付けられる。
本文に入る前に、簡単に連載に至るまでの経緯と、連載終了後に読者の反応から新たな発見があったので、その経緯について書いてみたいと思います。
当連載は2017年~2018年にかけて、ウェブスペース En-Soph に連載した「芸術とスタンダール症候群」を改題し、転載したものです。
この連載は、大きな意味では、笠原敏雄先生が提唱している『幸福否定理論』の研究が大元の出発点となっています。
私は東洋医学の理論を基盤とした整体を仕事にしていますが、この研究は、日々接する患者さんの一部に見られる不思議な行動に着目するところから始まりました。
本人が「治りたい」と言っているのに、治そうとする意識がみられない。また、一つの症状が改善すると別の症状が出てしまう、通院理由だった持病が改善すると、次は他の問題行動が目立つようになる、回復に重要な時期にキャンセルを繰り返し来院できなくなってしまう等、施術者から見ると理解が出来ない現象が見受けられたのです。
これらの現象の背景には、治ることへの抵抗が背景にあると考え、この人格的な問題を乗り越えるために、笠原先生の心理療法を追試し、心因性疾患の根本改善を含め、「幸福否定理論」についての肯定的な結果を得ました。
一方、笠原先生の著書(症例は主に『隠された心の力』と『本心と抵抗』に掲載)に書いてあった、
・反応が自らのやりたい事への指標になる
・抵抗を乗り越えれば、それらの達成に近づく
という目的が達せられるのか?という関心と、反応や抵抗そのものへの関心から、自らもクライアントとなり、(当初は軽い気持ちで)心理療法を被験者的に試してみる事にしました。
結果、13年間、クライアントとして心理療法を受けましたが、様々な対象に対して、造詣は深まるものの、創造的な活動をするという目的は困難を極めました。
心理療法を施す側、受ける側の立場を、どちらも10年以上経験し、
・心因性症状の根本改善を目的とする場合は、内容が変わっても、とにかく強い抵抗に直面すれば改善する。
・自分のやりたい事を探る場合は、指標となる反応が出る対象や、関心の対象が変わってしまうので、抵抗に直面するだけでは困難が生じる。
という事がわかってきました。
私の場合、大きく時期で区切ると
2006年~2009年
主に笠原先生の研究分野である超心理学への関心が高まる。前世、臨死体験などの勉強。また統計学への関心も強くなる。(結果的には、統計のサンプル抽出には、恣意的な部分が入り込むという問題がある事がわかる)
2009年~2011年
アダム・スミスの『国富論』で非常に強い反応が出る。アダム・スミスの他の著書(『道徳感情論』、『芸術論』)の他、経済学、哲学の本を読む。
同時に、生物学にも関心が高まり、今西錦司先生の著作とダーウィンの『種の起源』を読み、比較をする。
2011~2016年
主に芸術に関する関心が高くなる。パリ(ルーブル美術館、その他)や、サンクトペテルブルク(エルミタージュ美術館)、京都、奈良などを訪ね、
芸術鑑賞を重ねる。同時に、学生時代にやめていた音楽も再開し、バンド活動やクラシック、ジャズの理論を個人レッスンで習う。ピアノを始める。
2017年~
主に、相場の抵抗について研究。
という流れで、反応が出る対象や、関心の対象が移っていきました。
私は、高校、大学時代に軽音楽部に所属し、バンド活動をやっていたのですが、心理療法内で、芸術への関心を更に調べたところ、
・クラシック音楽に興味がある
・作曲をやりたい
・従来の作曲ではなく、抵抗が強い曲をつくりたい
・そのために、芸術作品と抵抗の関係を知りたい
と、音楽に関して、更に深い関心や欲求がある事がわかってきました。
そのため、笠原先生に指導を受けながら、研究を進めたのですが、音楽に関しても、どのような側面が自分の追及する事なのかが、焦点がはっきりしない時期が続くことになります。
笠原先生には、”やりたい事がはっきりするまで10年程度かかる”と言われたので、私だけではなく、他のクライアントも同様の経過を辿るようです。
芸術作品の研究に関しては、
①心理療法の枠内での反応そのものの研究として、スタンダール症候群(筆者注)の研究。
A.抵抗を乗り越えるために、心因性症状の改善により有効に使えるか?
B.通常の日常生活の抵抗に直面するやり方と、どのような違いがあるのか?
*筆者注:スタンダール症候群とは、芸術作品鑑賞時に出る強い症状。フィレンツェの精神科医、グラツィエラ・マゲリーニ医師が報告。
②芸術作品の本質についての解明に、反応が指標として使えるか?
③私個人のやりたい事(芸術作品鑑賞・作曲)に関して反応が指標として使えるか?
という側面があり、自分がどこを追いかければ良いのかがわかりませんでした。
①に関しては、
A.心因性症状の改善により有効に使えるか?
・特定の心因性疾患に効果があるという事は確認できなかった。
この点については、あるかもしれないが、強い抵抗に直面し続ける事ができるクライアントが非常に少ないため、未確認。
・心理療法の改善のスピードが早くなるという事もなかった。
当初は、より強い抵抗に直面すれば改善が早くなるだろうと考えていた。
しかし、反応も強く、消えるまでに時間がかかるので、不安定になる事を避けるために本質に触れないように心理療法を行ったり、休憩を入れる必要が出たり、と結局時間はかかってしまうという例ばかりで、臨床としては使い辛いケースのほうが多かった。
B.通常の日常生活の抵抗に直面するやり方と、どのような違いがあるのか?
この点については、芸術作品を題材とした心理療法への抵抗が強かったため、芸術作品に関心があったクライアントが、通常の心理療法に戻す事を希望したため、精査できていない。
簡単に言うと、一定期間に渡って続けたのは私だけで、クライアントは続かなかった(または、無理に続けさせなかった)という結果になっています。
心因性症状の根本改善の手段として、心理療法内で使うには、使いやすい方法ではなかったと言えます。
次に、
②芸術作品の本質についての解明に、反応が指標として使えるか?
に関しては、
・選び出す作品が検証者によって違う。
(私と笠原先生でも、共通する部分と違う部分があります)
・友人や心理療法のクライアントなど身近な協力者を対象にデータを取るので、偏りが出る。
・同一人物(例えば、私自身)に関しても、同一作品を対象として調べても、抵抗が弱まるに従って、(より本質的な部分を見れるようになるため)反応が強くなる場合もあれば、(抵抗が弱まったか、もしくは不明瞭化で)反応が弱くなってしまう場合がある。
など、被験者にどの作品を、どのように見せるか?を決める段階で、多くの問題が出てくる事がわかりました。
また、いくつか作品を選び出しても、
・どのような視点で、どこを中心に見れば反応が出やすいのか?がわからない
・全体的な見方をする時には、個々の能力差の問題が解決できない
・どこまでを作品の範囲とするのか?(庭と建物、建物の中の彫刻など)がわからない
・作品のみで反応が出るのか、作品の創られた背景まで関係してくるのか?がわからない
・被験者が、抵抗を避ける事ができる。
例えば、音楽などは、抵抗が弱い演奏者を選ぶ、考え事をして注意を逸らす、別の関心に注意を向ける(龍安寺の石庭で、石の数を数えたり、など)などの問題が生じる。
など、鑑賞の基準が定まらないという問題があり、困難を極める事になりました。
笠原先生には『希求の詩人・中原中也』という著書があり、その中で芸術家の創作に対する姿勢の分析を、非常に精密に行っています。
しかし、著書の"はじめに”において、
著書自体の目的の一つとして
"主観というあいまいなものに基づいて行われてきた文学作品の鑑賞や研究に、ある意味で客観的な指標を導入できるかどうかを、私なりの角度から検討することである。文学のみならず、芸術一般について言えることであろうが、こうした分野では、客観的指標が全くと言ってよいほど存在しないため、作品の鑑賞や評価は、各人の"見る目”に全面的に任されてきた。(中略)本書で試みている客観的指標の導入がわずかにせよ成功したかどうかについては、読者の方々の判断を待つ他ない。”
(引用:『希求の詩人・中原中也著』/笠原敏雄著 "はじめに,ⅴ”,2004)
という記述があります。
その一方で、
三〇年以上にわたって心理療法を専門としてきた、およそ文学には縁遠い人間としては、中也の作品そのものについて述べる事はできない。できることがあるとすれば、それは中也の心理的状態や行動および、作品の中で行われている主張に関する検討にほぼ限定される。(引用:笠原,2004,"はじめにⅱ)
としています。
つまり、”反応を指標とした芸術作品そのものの検討はやらない”と言っているわけです。
この点については、心理療法内で課題として出てきた、反応を指標として芸術作品の本質を考えるという作業をやっていた私にとっては、違和感がありましたが、実際に自分自身で芸術作品の反応を探ってみると、芸術作品そのものを扱う事は、上述した様々な問題点があるため、非常に難しいという事がわかりました。
次に、
③私個人のやりたい事(芸術作品鑑賞・作曲)に関して反応が指標として使えるか?
という問題に関してですが、この点に関しては、学生時代にバンドをやっており、また、2012年からクラシックの作曲理論、2015年にはジャズの理論を習う機会があったため、ある程度の知識があります。
音楽に関しても、一つの曲の中に、メロディ、ハーモニー、リズムという要素があったり、同じ曲でも演奏者によって反応の出方が違うなど、難しい問題に直面しましたが、その中で、唯一J・Sバッハの『フーガの技法』という曲集のみ、
・強弱、リズムがなく、音の高さと長さのみで構成されているという点で、比較する基準が確定している
・音楽の場合、他の芸術にはない譜面という完全な設計図が公表されている
・上記の要件を満たし、抵抗が弱い(から広く認知されている)『平均律クラーヴィア曲集』のフーガが、比較対象として存在している。
基準を明確化する事ができ、反応が出るポイントを、譜面を使って明確に示す事ができました。
但し、これは、一作品の反応が出るポイントの説明であり、芸術作品全体に関する反応の説明にはなっていません。
また、作曲をするにしても、何の楽器で作曲するのか?バッハの『フーガの技法』の類似作品をつくってもしょうがないので、どのような作曲スタイルにするのか?などの課題が残り、研究自体も、数年かけて、何とか手掛かりを掴んだ、という所までしか進んでいないように感じていました。
しかし、本稿の第9回を2018年9月にEn-Sophにアップし、その内容を心理療法で簡単に説明しようとしたところ、笠原先生の側に反応が出るようになってしまったため、心理療法が成り立たなくなってしまいました。
それだけではなく、新規患者数が考えられない程減少したり、それぞれの内容に関係なく、心理療法を受けている患者さんの抵抗が強くなってしまったり、家庭内が不安定になってしまったり、と、因果関係が説明できないような事象が身の回りで起こりました。
その後、半年間、笠原先生の心理療法は続けましたが、2018年に主に取り組んでいた、
・J・Sバッハの『フーガの技法』の反応が起こるポイントを譜面で示したこと
・当時研究していた相場データで反応が強いポイントがわかったこと
が、原因で心理療法が成り立たなくなった事がはっきりしてきたので、笠原先生の元を離れ、独力で研究を進める事になりました。
笠原先生やクライアントにも、譜面や相場チャートという記号の世界に入ってしまったので、研究内容を事細かに説明したわけではありません。しかし、不思議な事に、どのような作業をやっているのか?という事を簡単に説明しようとした段階で、相手側に反応が出てしまうという現象が起きました。
・芸術作品と反応との関係について、全体像については推測は書いているが、あっているかはわからない
・自分のやりたい事としての作曲はできていない
・一作品の反応が出るポイントを、基準を明確に示したら、多くの人に強い反応が出る事がわかった
という形で、当初、目的としていた事は達成できてはいませんが、研究の方向が思わぬ方向に変化したという結果になりました。
笠原先生も、
・主張に具体性、客観性がある事
が、周囲に非常に強い影響を与えるのではないか?という経験を、同様の体験をもとに書いています。(参考:心の研究室『本心と抵抗』――売れ行き不振の理由に関する検討)
このような経験に関しては、科学的な証明は不可能なので、経験として書く事しかできないのですが、少なくとも、私にも同様の経験があったという事を書いておきたいと思います。
具体的には、2018年9月29日にアップされた、第9回の後に周囲が不安定になり、2019年1月14日にアップされた、追補編の後に、県外からの患者が増えるなど、良い意味での今までにない現象が観察できました。
私が調べた限りでは、第9回と、追補編が抵抗が強かったのではないか?と推測しています。
芸術全体の反応を調べるという事に関しては、独力では限界があります。
協力者を必要とする研究は、環境が整わないと、行き詰ってしまいますが、
・個人の反応を追いかけて、具体的な一例を提示する
という方法が、何かしらの重要な意味を持つ可能性がある、という、連載開始時には思いもよらなかった結果を得る事ができたので、もし"反応”を指標としながら、自身のやりたい事を追及するという読者の方がいたら、その点も参考にして頂ければと思います。
今後の課題について~創造活動そのものの研究
2020年6月時点で考えている、今後の課題について簡単に書いてみたいと思います。
芸術作品に関する研究からは話が逸れてしまいますが、現在、多くの人が相場データを見る事に強い反応があるという事がわかったため、その研究に多くの時間を割いています。
芸術作品の研究よりも、現実的に生活に関係するという事もありますが、何よりも、
・私自身の抵抗が芸術作品に関する研究より強い
という事が、そちらを優先している原因です。
相場の研究なので、経済的な側面も付随しますが、反応は株や商品が上がる、下がるという事には関係がありません。
・抵抗の原因は、AとBの関係を示す、データの具体性、客観性にある
と考えています。
実は、この着想は、芸術作品の研究から得たものであり、私自身にとっては、芸術作品の研究と、相場データの研究は、全く別のものではないのです。
現在、AとBにあてはまる対象として、金(Gold)とUSD(米ドル)の関係性を調べていますが、相場データの研究のどのような部分が創造活動にあたるのか?の推論を考えてみたいと思います。
創造活動とは何か?に関する現時点の推論
創造活動は何か?という事も大きなテーマになるので、もちろん全体像はわかっていませんが、これまでの経験をもとに、いくつかの推論を書いてみたいと思います。
まず、創造活動として挙げられるものとしては、
・新事実の発見
があると思います。
この点については、既に笠原先生が数々の著書において指摘おり、また、世間の新事実の発見に関する態度を見ても、疑う余地はないと考えています。
そして、私自身は、
・異種の事物の調和や繋がりの発見
という人間独自の活動も、創造活動として考えています。
例えば、人間は料理やお酒なども、様々な食材を調和させて、常に新しいものを創り出そうとします。コンビニやスーパーに行っても、何十年と売れている定番商品がある一方で、毎年のように新商品が出ては消えていきます。また、バーで酔っ払っている人を見ていると、酔っ払うのが目的なのに、なぜ、あれだけ多くの種類のカクテルを飲んでいるのか?と不思議に思いますが、
・異なる物同士の調和を求める
という点で考えれば、色々と試したくなるのは、人間独自の行動として自然な事なのでしょう。
芸術作品に関しても、
彫刻を例にとると、
・木材で人間の身体や表情を表現する
絵に関して言えば、
・二次元で三次元を表現する
など、Aの対象をBという全く別の事物で表現しようとします。
相場においても、お金儲けが目的であっても、様々な通貨、商品から、通常は考えにくい関連性を見つけ出すという作業が必然的に伴ってきます。
この、本来は、同時に成立し得ない関連性の提示や発見が強い反応が出るポイントなのではないか?と考えています。
この推論に関しては、対象が広すぎるため、一応、このような事を考えながらやっている、という程度に留めておきたいと考えています。
本連載には、独力で探る事ができる事以上の推論も含まれているので、全体を説明しようとして飛躍している部分と、部分的ではあるが具体的に説明している部分が混在していますが、掲載終了から約1年半を経て、読者の反応から、新たな発見があったので、この点も参考にして頂ければと思います。
(2020年6月記)