最高裁に対する意見書
令和3年12月29日
令和3年(あ)第1418号 事件
意 見 書
最高裁判所第三小法廷 御中
一橋大学院法学研究科
教授 緑 大輔
令和3年(あ)第1418号事件にかかわって、特に、AおよびBの司法面接的手法による検察官面前調書の採用にかかる、刑事訴訟法第321条1項2号後段の解釈および適用に関して、最高裁判所のご参考に供するため、下記のとおり私の意見を申し上げます。
記
第一 参照した基礎資料及び意見を述べる事項
この意見書は、本件に固有な事実関係の資料としては、第1審判決、控訴審判決、第1審におけるAおよびBの証人尋間調書、AおよびBの検察官面前調書をもとに起草しております(証人の氏名については、いずれもマスキング処理を施されたものを参照しております。そのため、「A」「B」という表記を行っております)。
本意見書では、本件AおよびBの検察官面前調書の証拠採用の可否にかかわって、第1に、刑事訴訟法第321条1項2号後段にいう「公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異った供述をしたとき」(以下、相反性と呼び)の認定のあり方にかかわって、司法面接固有の事情を確認した上で、相反性の認定にあたって考慮すべき事項について意見を申し述べます。
第2に、やはり司法面接固有の事情にかかわって、手続的正義の実現のために必要だと考える事項に関して意見を申し述べます。
第二 証人テストと相反性の関係について
1 前提
公判外で行われた司法面接結果を証拠として使用する際には、公判における証人尋間を行うことによる手続的な公正さの担保をどの程度、どのように実現するかという課題が生じます。
司法面接について事実上の運用によって対応している現状においては、司法面接結果を証拠として使用する際には、事実の究明とともに公正さも調達するよう関係諸機関が充分に留意しなければ、司法面接の利用について法曹を含む国民の信頼を得られず、結果的に司法面接の証拠としての利用が過剰に困難になる(あるいはそのような法制化がなされてしまう)リスクを伴います。本件は、その点で慎重な審理と判断を要する事件であると考えます。
2 イギリスの司法面接に係る制度的前提一一反対尋間、証人テスト
司法面接が導入され、制度的に実装されているイギリスの場合、1999年少年司法及び刑事証拠法第21条が主尋間に代替して司法面接の録音録画媒体を使用することを認めるとともに、同法第28条が、子どもの公判廷での証言の負担を緩和し、告発により近い時点(つまり子どもの記憶がより鮮明な時点)で反対尋間を実施することをねらって、公判前において反対尋間を実施し、その録音録画媒体を証拠として許容する旨を規定しました(試験運用を経て、2017年から正式に運用されています)。
同条項によれば、反対尋間について、公判廷で行う場合も制度上は想定されています。司法面接の録音録画媒体を証拠として用いる場合であっても、証人尋間を実質的に実施するための配慮が制度的になされており、そのことを徹底するために、反対尋間を公判外で手続初期に行うという選択をしました(Note 1)。
そもそも反対尋間を実施することができない場合には、司法面接の録音録画媒体を証拠として用いることが裁判所によって否定されえます(同法第27条4項)。このように、反対尋間の実現を強く配慮した制度になっています。
そして、これら制度の前提として非常に重要な点は、バリスタ(法廷弁護人≑検察官・弁護人)が事前に証人と証言内容について打ち合わせることを禁止されている点です(成人たる証人にも子どもたる証人にも、等しく適用されます)(Note 2)。
当然のことながら、証人が自らの記憶に基づいて供述することを保障するためのものであり、訴訟当事者のバリスタに事前に行うことが許容されているのは、証人に対して手続の流れや法廷の状況などに関する情報を与えることであり、証言内容についてのその他の打ち合わせをすることは一切禁じられているとされています(Note 3)。
イギリスの司法面接に係る上記諸制度は、証人テストを実施しないことを前提条件として設計されており、証人が記憶に基づいて事実を供述することを強く意識した制度であることが押さえられるべきです。
まとめると、イギリスから得られる示唆は、
第1に、公正さを担保するために被告人側の反対尋間を行う権利をどのように埋め合わせるかを意識し、その手段として公判外の証人尋問制度を導入したことを挙げられます(Note 4)。
このことは、本件のように被告人側に司法面接の成果を証拠として用いる場合において、反対尋間が制約されることに対してどのような「埋め合わせ」を行うべきかを裁判所が意識すべきことを示しています。
第2に、証人テストを禁止するなど、証人尋間において、最良の供述が顕出できるように配慮すべきことを挙げられます。特に、子どもが証人となる場合には、大人による事前の示唆や教示は大きな影響を持ちえます。そのため、日本の現行法の下で証人テストの禁止ができるか否かは別論、少なくとも子どもが証人である事件においては、証人テストの在り方について慎重な吟味が必要であることを示しています。
3 相反性が生じる経緯についての審理の必要性
一般に、これまで 321条 1項 2号後段の「相反する供述」「実質的に異った供述」(以下、相反供述等と呼ぶ)に該当するか否かを判断する際には、公判廷において実際に顕出された供述と、検察官面前調書作成時の供述を対比して判断する形で行われてきました。
そこでは、相反供述等が顕出されるに至る過程について、公判廷での尋間の限りで確認されるにとどまり、公判外でどのような働きかけが行われていたか、証人テストがどのような内容であったかについてまでは、基本的に考慮されてこなかったように思われます。
その理由は、通常の証人であれば、検察官が当該証人に対して公判廷において殊更に相反供述等をさせる動機はなく、公判外で証人にどのように働きかけたかを吟味する必要性が大きくなかったからだと思われます。通常の証人に対して検察官が証人テストをする場合でも、殊更に相反供述を証人に求めたり、「わからない」と述べてもよいことを示唆したりして、尋間を形骸化させる方向に導くことは想定し難いところです。
相反供述等をした場合、それは検察官側にとって望ましくない展開であり、当該証人の検察官面前調書の内容について確認を求めて供述が変遷した理由を尋ねるなどして対応するのが通常です。
しかし、検察官による司法面接の録音録画媒体が存在する場合、状況は異なります。検察官が当該事件を司法面接の録音録画媒体等の証拠に依拠して公訴を提起している場合、公判での証言よりも、司法面接の方が有罪立証のために有用であるのが通常です(対象者が年少者であり、その供述特性に照らして、司法面接の録音録画媒体の方が立証に便利なことが多いでしょう)。
しかも、子どもの負担を慮って、証人テストにおいて公判で「わからない」「覚えていない」と証言することを積極的に慫慂(誘導)しやすい情況にあるといえます。無理に公判で証言してもらわずとも、検察官としては困らない上に、子どもの負担のためにも思い出さなくてもいいと促してしまうことは充分にありうることです。
この点は、通常の成人の証人とは前提となる状況が異なります。この状況は、直接主義の観点、そして証人審問権の観点からすれば、重要な問題をもたらします。
「わからない」「覚えていない」という証言が慫慂(誘導)される結果として、反対尋間がほとんど機能しないという状況が生じてしまうという現象を生じさせ、しかも「反対尋間の機会は与えられていた」という形で司法面接の録音録画媒体が証拠採用されてしまい、公判外供述に対する被告人側の批判的検証がなされないままになるという問題です。
このような問題を回避するためには、現行法の下においては、相反供述等をするに至った経緯についても審理を尽くし、殊更に反対尋間が機能しないような状況をもたらす行為がなかったかを確認しておくべきように思われます。 (Note 5)
司法面接結果を証拠として採用する場合には、相反性の認定にあたっては、相反性が生じる経緯にも着目する必要性が高いということです。本件でも、特にAおよびBの証言に顕著に観察されるところですが、「覚えていない」あるいは沈黙などが繰り返されており、これは当該証人の記憶が失われたからなのか、それとも証人テストで懲憑されたことに起因するのかは、解明しておく必要性が高いと思われます。
特に、本件のような年少者に対する性犯罪の事案においては、被害者とされる年少者の供述の信用性をどのように判断するかが極めて重要です。そのような重要な証拠については、特に相反供述等が生じてきた経緯について、上述したような司法面接がかかわる事案に固有の特色もあるため、慎重な吟味が行われるべきです。この点で、証人テストにかかる審理を行わなかった原審および原々審の審理は、不十分なものだったと思われます(Note 6)。
それにもかかわらず、公判廷での供述内容から相反性を認定したことは、不適切だったと考えます。
まとめると、321条 1項2号前段の「国外にいるとき」その他供述不能にかかる事由の有無について、実質的にそれまでの経緯や今後の見通しなども含めて諸事情を考慮することが裁判例上承認されているのと同様に(Note 7)、相反性についてもその経緯を含めた諸事情を考慮して、要件の充足性を判断すべきです。
そして、かような観点がら見た場合には、本件では検察官が証人テスト等で不適切な対応をした可能性があり、相反性を認めるべきではないと考えます。相反性が認められない旨の判断が難しいとしても、相反性にかかる事情について審理不尽である旨の判断をすべきだと考えます(本件各供述はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかな重要な証拠であることを、前提としています)。
第三 証人審間権保障の観点――手続的正義の問題
1 問題の所在
前項で申し上げたような形で相反性の認定手法として議論することが、仮に難しいとしても、証人審問権の保障の観点からは、手続的正義との関係でさらに検討すべき余地があります。検察官が公判において結果的に反対尋間を機能させないことを慫慂(誘導)し、あるいは公判において司法面接類似の尋間を行うために訴訟関係人が尽力していることに対して十分な協力を行わないことは、司法面接の運用に対する信頼性を損なう危険性があるからです。
2 手続的正義として保障されるべき内容
周知のように、最高裁平成7年6月20日 判決 (刑 集 49巻 6号 741頁。 以下、平成7年判決と呼ぶ。)は、「手続的正義の観点から公正さを欠くと認められるときは、これを事実認定の証拠とすることが許容されないこともあり得る」ことを説示しました。
その実質的な意味を解明するために、学説は様々な議論を蓄積してきました。平成7年判決のいう「手続的正義」と密接に関連させて、証人審間手続を保障することに、被告人の参加や被告人の個人の尊厳の尊重、被告人の納得といった代替困難な価値があるとする見解があります。
この見解によれば、検察官には、「単に現在利用可能な原供述者を喚問するというだけでなく、喚間可能な状態を前もって維持しておくべき積極的義務も含まれると解すべき」だとされているところです(Note 8)。
また、近時主張されている有力な見解は、証人審間権を、供述証拠の信頼性について事実認定者によるヨリ確実な評価の可能性の確保を趣旨とする権利だと位置づけた上で、証人審間が国家により濫用的に回避される場合や、供述証拠の信頼性のヨリ確実な評価を可能とする要素が存在しないような場合には、証人審問権の制約は正当化されず、公判外供述の証拠能力は否定されるとする見解(Note 9)も登場しています。
この証人審間権による規律は、伝聞法則とは趣旨を異にする別個独立の証拠能力に関する規律だとされ、伝聞例外の要件を充足していてもなお証拠能力を否定する規範として働くとされています。
この見解からも、信頼性のより確実な評価を可能とする要素を顕出する機会(反対尋間の機会)があるにもかかわらず、その機会を結果的に機能しなくなるようなことが国家によって行われている場合には、証人審問権保障の趣旨に反するといえそうです。しかも、証拠価値の高い証拠ほど、信頼性のより確実な評価を可能とする要素を顕出する機会(反対尋間の機会)を担保する必要性が高くなると説明されているところです。
3 本件における検察官の対応と手続的正義
司法面接の録音録画媒体がある場合、上述したように、検察官側にはそれを利用する強いインセンティプがある一方で、公判廷で証人尋間をすること自体に対するインセンテイブは弱いものになりえます。
司法面接結果を証拠として採用できれば、有罪認定をするための強固な証拠を、弁護人や被告人からの弾劾にさらされることなく使用できることになるからです。検察官にとってみれば、子どもたる証人が公判で証言しない方が、むしろ子どもの負担上も立証上も便宜といえる面があります。
本件の場合、検察官が証人テストにおいてどのようなことを行ったのか、年少者たる証人に対してあらかじめどのようなことを述べ、アドバイスしたのかは、明らかになっていません。弁護人が申し入れたにもかかわらず、証人テス卜の録音録画をしておらず、証人テストを担当した検察官に対する尋問なども拒んでおり、証人テストの状況がわからないままとなっています。
年少者の性犯罪事件の場合、年少者の供述の信用性・信頼性の判断が非常に重要な重みを有しているところ、被告人側にとっては、批判的に吟味する機会として公判での反対尋間こそが重要となります。それにもかかわらず、反対尋間が機能しない原因について審理を尽くさないことは、実質的に証人審間権が制約されているにもかかわらず、その正当化事由があるといえるのか否かについての検証が不十分なまま審理を行うことになります。
また、反対尋間において「わからない」「覚えていない」という言葉が多く出てきて、実効的な尋間が行えない場合において、そのような状況の発生に検察官が寄与しているのだとすれば、それは「喚間可能な状態を前もって維持しておくべき積極的義務」に反する状態だと評価しうるように思われます。
司法面接において、このような審理が常態化すると、司法面接そのものを歪なものにしてしまうことが懸念されます。イギリスが、司法面接を制度的に実装する際には、反対尋間が機能するように配慮することも同時に行うことで、事実の究明と手続的な公正さの両立を実現することを目指しました。日本においても、現行法で可能な限り、事実の究明と手続的な公正きの両立を目指すべきです。本件のような形での争いのある事件においてこそ、この点が問われているのだと私は考えます。
また、本件においては、公判廷での尋間が実効的に実施できるように、公判廷での証人尋間をできるだけ司法面接に類する形で実施するよう、反対尋間においても誘導を行わないなど、様々な配慮をしていたように調書上も理解できるところです。そのような努力を裁判所も合めて尽くしているところ、検察官が、AおよびBの公判廷の証人尋間において、ラポール形成(話しやすい雰囲気を生み出すための諸行為)を行わないまま主尋間を行ったように理解できます。
より公判廷での証人尋間を司法面接類似の形で実施することで、良質な供述を採取しつつ被告人側の証人審問権保障も実現することを目指す点で、現行法において採りうる方策の1つだと思われるところ、上述したような証人テストと相まって、ラポール形成も不十分なものにした検察官の姿勢には問題があったと思われます。
以上の事情に照らせば、上述した証人審間権保障にかかるいずれの見解によっても、本件の検察官の対応は、供述の信用性・信頼性を吟味する機会を損なう可能性があるものです。証人テストにかかる審理を尽くせない原因が検察官側にあり、公判廷でのラポール形成等の司法面接的な尋間の実現にも充分に対応しないのだとすれば、手続的正義に反するものとして321条1項2号後段で採用されうる司法面接的手法による録音録画記録であっても、その証拠能力が否定されるべきように思われます。
証拠能力を否定するまでの判断材料が顕出されないとしても、証人審問権を実質的に阻害しうる行為が検察官によって証人テスト等において行われていたか否かについて審理を尽くすよう差し戻す判断を最高裁判所が示すことによって、「司法面接を利用するためにどのような手段をとっても構わない」という事態が生じないように対応すべきように思われます(Note 10)。
第四 結語
司法面接は、まだ発展途上の供述保全手段だと考えております。司法面接がより良く利用され、定着していくためには、冒頭で申し上げましたとおり、事実を究明する手法としての精度を高めるとともに、手続的な公正さにも配慮して信頼を高めていくことが必要です。そのためには、司法面接的手法によって得た供述とて公判外供述である以上、証人審問権の保障や直接主義といった刑事訴訟法の基本的な権利・原則と調整して、広範な支持を得られるように運用していかなければなりません。
事実や犯人性に争いのある事件においては、司法面接が必ずしも万能ではないことに留意しつつ、供述の信用性・信頼性を吟味する手段と機会を保障することも意識される必要があります。
私がもっとも懸念するのは、子どもの性犯罪事件において事実に争いのある場合に、「司法面接の録音録画媒体を証拠として使用するためには手段を選ばない」という姿勢が検察官側等で広がり、そのことが却って司法面接に対する公正さへの懸念を惹させ、司法面接の定着を阻害することにあります。
日本では、イギリスのように司法面接についての制度が十分に整備されず、刑事訴訟法および憲法の解釈によって対応するほかございません。
日本においては、裁判所が司法面接の録音録画媒体を証拠として採用するときに、手続的な公正さに配慮をした審理を尽くすことによって、司法面接はより健全な制度として育っていくものと考えております。
最高裁判所におかれましては、この点に十分ご配慮の上、本件について審理を行うことを希望いたします。
以 上
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?