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ネコチャンかわいい

何人もネコチャンの前では無力である。

ネコチャンは、人類が数千年かけて文化とともに育ててきた言語をいとも簡単に奪ってしまう。

我々人類とネコチャンの歴史は深く、遥か過去紀元前3000年、古代エジプト文明まで遡り、当時の王朝では…….....ん?おや!ネ、ネコチャン!あ、あ、ああ~かわゆ!あっ、おてて、ネコチャンのおてて……!まるい!しろい!やわらか!ふわふわ!

何人もネコチャンの前では無力である。

ネコチャンは、ヒトが生まれてから成長とともに複雑化させてきた感情を一瞬のうちに無効化してしまう。

ヒトは母親の胎から外の世界へ生まれたその瞬間には「快」「不快」という、生命を維持するために必要な、極めて原始的な感情しか持っていない。しかし成長の段階で、母親をはじめとした家族、学校の友人、会社の上司など様々な局面で社会性をはぐくむのと同時に、ヒトはその感情を進化させ......ネコチャンッ!また、きれくれたの!よちよちよちよち、あごのしたよちよちよちよち!!あーおなか、ネコチャンのいいにおい!ふんすー、ふんすーー、ええにおい!!あぁ~このままいっしょにねんねしたいよ......!


何人もネコチャンの前では無力である。

ネコチャンは、人々が積み上げてきた努力の結晶を、いとも簡単に壊してしまう。

泥を丹念に洗い流し輝きを取り戻したばかりの車のボンネット、角を揃え美しく積み上げた洗い立ての洗濯物、これを倒したら全員にハーゲンダッツを奢らなければならない決死のジェンガ。しかし、洗いたてだとか、畳みたてだとか、臨時出費だとか、そんなことはネコチャンの知ったこっちゃない。そもそも、ネコチャンが我々の領地に入ってきて狼藉を働くのではない。むしろ、我々がネコチャン様の領地でおこがましくも生活させていただいているのだから、当然の報い、納税と言っても過言では.......ああ~!!ネコチャン!ダメでしょ!!あ、これ!そこに近づいたらアカンよ!あぶないのよ!ほら、ちゅ~る!!ちゅ~るあげるよ!ほら~おいで~!ちゅーるちゅーるチャオちゅーる♪ちゅーるちゅーるチャオちゅーる♪

ネコチャンや 嗚呼ネコチャンや ネコチャンや(松尾芭蕉・1694)

「宇宙の果てってどうなってるんだろう」と考えるとのちょうど同じくらいの頻度で、「ネコチャンとはどうしてあんなに可愛いんだろう」と考える。

iPhoneでsafariを開いてみると、前日の夜に使ったGoogle検索結果がそのままになっていて「ねこ いっぱい」「ねこ かわいい」「ねこ 癒やし なぜ」など、偏差値22くらいの検索ワードが目に飛び込んできた。メンタルが疲弊するといつもこんな具合だ。実家を出る数ヶ月前までは、毎日よちよちスリスリしていたのでなんともネコチャンが恋しい。恋しすぎてこんなトチ狂った文章を生み出してしまった。しかし一片の悔い無し、ネコチャンへの思いを募らせていくばかりである。

しかし、ねこというのは、もう「ねこ」という字の並びだけで、どんなフォントで書いても可愛いよなあ。ふしぎだなあ。

(Photo by Dimitra Raftopoulou on Unsplash)

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