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「夏」がパンくわえて走ってぶつかってこないかな。

熱とみずみずしさを、明日使う分も気にせず、ありったけ使い切ろうとする、夏のそういう痛々しいところが昔から好きだった。

理由は今でもうまく言葉にはできないけど、猛暑になると聞けば心が躍り、冷夏の予報を聞けば、農家でもないのに「ああ、夏を1年分失った」とショックを受けるくらいには、夏が好きである。

海ではしゃぐとか、BBQをするとか、屋外フェスに行くとかそういう夏らしいイベントが待ち遠しわけではない。もちろんそういうアクティビティは楽しみだけど、エアコンで寒いくらいの部屋でそうめん食べて柔軟剤のいい香りがするタオルケットにくるまってお昼寝したり、居酒屋で頼んだ最初のビールの減るペースがいつもよりちょっと早くて「夏だなぁ」と思ったり、そういう小さな瞬間が待ち遠しいのだ。

どういうわけか、ここ数年はいつにも増して夏が愛おしい。

熱せられたアスファルトの匂いを嗅いだり、雨が降りそうな湿っぽさを肌で感じると、もう5月頃から早く夏に会いたくて仕方なくなっている。でも、毎日会いに来て「また明日ね」みたいな顔をしているくせに、ある日さっさと南半球に帰ってしまうような奴なので、早く会いたくない気もする。

毎年、「なんでそんな、夏みたいな奴が好きなのか」という問いの答えを探しながら、地球の自転と公転に乗っかって、夏との再会に向かっていくしかないのである。

「夏」と出会う妄想と駆け引き

「今日は出先で夏に会うかもしれないから、半袖のワンピースを着ようかな」「もしお昼どきに夏に会ったら、冷たいお蕎麦でも、食べに行っちゃおう」
この季節は、片思い中の女子学生ように、偶然の出会いを妄想してみたり、身支度にあれこれ趣向を凝らしてみたりする。

妄想が大当たりして、お昼休みにオフィスから出て夏に出会えたときには、日傘をくるくる回しながら、ちょっぴり贅沢なランチに向かう。もちろんアテが外れる日も多々あって、そんなときはちょっぴり後悔しながら、会社に置いておいたカーディガンを羽織って、コンビニのサンドイッチでも食べる。逆に、予想外の場所で夏に出会ってしまったときは、「聞いてないよぉ」と口では文句を言いながら、袖をまくっていそいそと外へと出かけていくのだ。

この季節は、そんな駆け引きが楽しい。
今日は夏に会えたから、明日も会えるような予感がした。

(Photo by Ryoji Iwata on Unsplash)

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