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宮城道雄『春の海』はなぜお正月なのか

音楽学大学院生の週一アウトプット*43

2024年、明けましておめでとうございます。今年もよい年になりますように。
(内容に関係ないことではあるが、あえて「よい年にしましょう」よりもこの「よい年になりますように」というフレーズはよく使われるように思う。これは来たる運命を柔軟に受け入れて生きていこうという和な心があらわれているような気がして個人的には気に入っている。)

今回は、お正月シーズンということで、日本人なら誰もが耳にしたことがあるであろう宮城道雄の『春の海』についておさらいしてみたいと思う。

宮城道雄の『春の海』は、お正月にショッピングモールや商店街などさまざまな場所で流され、いかにも「日本的なお正月」の雰囲気を醸し出す重要な要素である。この曲は1929年に宮城道雄という作曲家によって作られた。

宮城道雄(1894-1956)、とは。彼は、大作な作曲家である。
彼のオフィシャルサイトなるものも存在する。以下のサイトを見れば彼についての大体のことはわかるとは思うが、ここでも少し説明を加えておく。

彼は、8歳で失明し箏の道へ進むことを決心した。免許皆伝は早くも11歳で、14歳の時に作曲した処女作『水の変態』(1909)は、かの伊藤博文にも届き認められるほどの出来だった。25歳で作曲家としてデビューしたのちは、大きく分けて幾つかの分野で業績を残している。

まず、十七絃、八十絃、大胡弓などの楽器の改良と開発。次に、当時は珍しい西洋音楽的な意味での作曲家として、そして同時に演奏家としての活動。最後に、教育者として、そして伝播者としてのラジオ出演などの活動。音楽家としてできることを最大限にやり果たしていったような人生に見える。また、当時、現代音楽が盛んに作曲されている中で、彼の作品は非常に注目されたということは想像に易い。

ただ、彼の作風において重要なポイントとしては、彼は「古典」を好み、重視したということであり、当時としてセンセーショナルな作品を残しクラシック音楽的要素は多く持ちながらも、彼はあくまでも日本伝統音楽の系譜の中での箏曲家なのである。

ちなみに彼は同時代人のフランスの音楽(ドビュッシーやラベル)やストラヴィンスキーの作品を好んだようだが、彼の作品を聞いてみると、深く納得がいく。

それでは、本題。なぜ『春の海』はこんなにも特に知られるようになり、お正月の曲になったのか?
この作品は1929年12月に1930年のお正月の宮中歌会始のお題「海辺巌」にちなんで作られたもので、1月2日に広島放送局からラジオで流れたのが初演となる。箏と尺八によるいかにも「日本の伝統的な音」そして日本的な五音音階を使用した作品であり、初めからお正月のために作られお正月に流されてきた音楽だったのである。ここでいう「春」は「新春」の春であり、季節というよりも特にお正月のことを指していたということになる。

それで、「海」はどこのことを指しているのか?
宮城は以下のように述べた。

瀬戸内海の島々がモデルであり、長閑な波の音や、船の艪(ろ)を漕ぐ音、鳥の声などを織り込んだ

宮城道雄オフィシャルサイトより引用

あの厳かな雰囲気は瀬戸内の静かな海を指していたようだ。

では、なぜここまで有名なのか。

それは、1932年に来日したフランス人ヴァイオリニストRenée Chemet(1887-1977)の影響が大きいと言える。彼女は、当作品を来日時に聴いた時に非常に気に入りヴァイオリンで演奏した。それが、海外にもこの作品が知られるようになった主要な要因となる。また、西洋音楽への憧憬が特に強かった当時の日本においても、その演奏が非常に魅力的に映っただろう。

今日のお正月、日本の街中で流されている「春の海」は、必ずしも箏を使っているわけではない。ルネ・シュメーのヴァイオリンver.に限らず、さまざまなバージョンがこれまでたくさん作られてきた。この作品が聞こえたら、何の楽器を使っているのかしら?とよく聴いてみると新たな発見があるかもしれない。

参考:
森本美恵子、末永理恵子「ルネ・シュメー編曲「春の海」をめぐって」、明治学院大学アーカイヴより、2014年

FALL

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