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意識が線に囚われている

共感するからといって、思い通りに振る舞えるわけじゃない。

人の思考がわかることと、自分の言動をコントロールすることは、全然違う。

人の思考とは別で、自分の思考があって、それは無意識下で自分の言動に影響を与えてくる。

だから、自分がこれからやろうとすることに対して相手がどう思うか想像できても、それをやめることができない場合もある。

自分がやったことに対して相手がどう思ったか、手に取るようにわかったとしても、それを覆すことができない場合もある。

それに、自分自身への不信感は強くなる一方で、これが本当に自分の考えなのか、世界をちゃんと認識できているのか、わからなくなる。

元からわからないのに、もっとわからなくなってきた。

何が自分を追い込んでいるのか。

その犯人をすぐに探し出せる時もあれば、未解決のまま時効を迎える時もある。時効を迎えた後で判明することもある。

でも、どうやっても何らかの苦痛が襲ってくることはわかっていて、その苦痛とはうまく付き合っていくしかないと諦めていながら、はやく終われ、はやく終われと祈り、目を閉じて呼吸に意識を向ける。

この世界も、いつ終わってくれてもいい。

今手にしている幸福も、近い将来の楽しみも、誰に対する愛も、世界が終わることの魅力には及ばない。

この線に囲まれた世界を抜けたら、何に従って歩みを進めることになるのだろう。

線。

線、線、線、線。

線、線、線、線、線、線、線、線、線、

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