秋野 蒼
短編小説。情景描写が多いです。
その日は朝から暖かかった。 駅の改札で待ち合わせをしていると、燕が目の前を横切った。行き先は壁側に据え付けられた巣だった。よくこんなところに巣を作るものだと感心してしまう。 「都会の特権だよね」 隣に、自然な仕草で立った友人が言う。待ち合わせの時間から十五分遅れのことは、一切口にしない。 「燕の巣を見られることが?」 時間のことは言ったところで無駄だ。そう思って冗談のような会話を続ける。 どうせ何時ものようにメイクや服にこだわって遅れたのだろう。以前、相手は友
ゆらり、ゆらん。 水面が揺れる。それは、何も見えない真っ暗な闇が、かろうじて水なのだとわかる瞬間。 川沿いのコンクリートでできた塀を降り、わずかな足場に腰掛けた。肌に触れる水が心地よかった。さらさらと流れていくのがわかる。 川の流れは穏やかだった。水に映った街灯の光が潤む。 私は何も考えずにこうしているのが好きだ。川と海の境目の、波打つ前の水面は安心して見ていられる。自分を守る隠れ家のようで。 夜風で髪がかき乱された。 「お姉ちゃん!」 あれ、また来たの。 上
私が幼い頃、母はいつも、キャンパス地でできた白いトートバックを持ち歩いていた。前面に青の絵の具をポタリと数滴落としたような模様が描かれ、中に何が入っているのか予想ができないほど大きい。小さかった私は、母がそれに手を入れるたびにドキドキしたものだった。私にとっての四次元ポケットだったのだ。 そのトートバックは、今、制服を着た私の膝の上にある。何度ちょうだいと言っても「ミナミには新しいものを買ってあげるからね」とかわされたトートバック。私はこれが欲しかったのに、いつも「古いか
夢を見たんだ。 彼は言った。 明るい、昼の日差しの中で。 「俺は長いエスカレーターに乗っていて、どこかに着くのを待っていた。でも、終わりはいつまでも見えなくて」 歩いてみてもだめなんだ。降りることさえ出来ないんだ。 口角を上げて冷たく笑う。私は彼の手を握った。 「でも最後にやっと出口が見えたんだ。ほっとして駆け上がったけど、そこには何もないんだ」 ただ、がらんとした明るくて白い部屋に、辿り着いただけだった。そこには窓もなく、冷たい空気が広がっていた。
「花火で?」 「そう、ファイア―フラワー。今日、やらない?」 日本人のカタカナ英語で話す友人は、片手にライターを持って軽く振った。 「今三月だよ」 「大丈夫、ある極秘ルートから手に入れたから」 「なにそれ」 「で、どうするの?」 「……やる」 火をつけると、暗闇にカラフルな光が飛び散る。嫌なものが吹き飛んでいく。その瞬間を思い描いただけで魅力的だった。火は危険なものなのに。不思議だ。 彼女はニコリと笑って言った。 「言うと思った」 「けど、どこでやるの?
(……眠い) 机にノートを広げ、肩肘をつきながらとろんとした目で黒板を眺める。先生が何か説明しているようだが、頭半分、いや三分の一で聞いている私には到底理解できない話だ。 本日の一限は数学。普段なら例え前日何時に寝ようとも授業が始まると、だんだん頭がさえてくる。得意教科である数学の授業となればなおさらだ。なのに今日はまったくそうならなかった。 (おかしいな……昨日十一時には寝たのに) 何とか一限は乗り切ったが、二限である英語の授業では―― 「では次の人」 「ち
「やだなあ、もう明日は月曜日だよ」 「土日は早いよねー」 なんて会話をする日曜日の午後5時。学校が嫌いなわけではないが、月曜日は正直気が重い。 「はああ……」 「でも私、月曜日好きな時もあるな」 「マジでっっ! 何時!?」 「祝日だよ。月曜日って祝日多いじゃん」 「ああ……」 「何その反応。でも月曜日が休みってだけで三連休になるし、なんか得した気分にならない?」 確かに月曜日は祝日が多い。でもそれはもともと決まっていたことだし、いつもあるわけ
雨が降ってきた。数分後、雨は、窓から外が見えないほどの勢いを有した。バケツをひっくり返したような、と例えるのが正しいだろう。 「ゲリラ豪雨ってやつだね」 図書館で一緒に勉強していた、友人Aは言った。 「あれは積乱雲が――」 「はいはい、いいから」 Aはいいやつだが、理科オタクなのが玉に瑕である。そう、分野が「理科」なのだ。地学や科学、化学のみ、という訳ではなく。「文学少女」を地でいく私にとって、理科は未知なる世界である。理科は、身近な世界の仕組みの勉強なはずな
「コインロッカーってこの駅になかったっけ」 午前六時、D駅構内。私たちは、飲み会の席で喧嘩して仲直りして、また喧嘩し始めるという、迷惑極まりない行為を実行していたところだった。それも昨日の昼からずっと、だ。流石に眠い。二人とも電車の中でも終始無言だった。この言葉で休戦しようという事だろうと悟り、言葉を返す。 「あるよ、北口になら。なんで」 ぶっきらぼうな口調になったのは否めない。 「いや、噂で聞いたんだけどさ」 「出処は」 「割と売れてないロッカー」 「……」