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友情とイデオロギーの相違

自分には友人が少ない。

昔は恥だと思っていたことだが、今はむしろ誇らしい。

『孤独を愛する人間は気高い』

自分ではこう思っている。

現在の仕事で、周囲の人々と様々な話をするのだが、景気や経済の話になることもたまにはある。しかしながら、完全に同意できないものもある。自分はそんなとき「そうですねぇ。」と話を流すようにしている。どうしても政治的な話で、意見をぶつけ合うと、人間関係が円滑に進まないし、良好な人間関係が醸成されにくい傾向になるからだ。

完全にイデオロギーを一致させるなんて無理

その行動自体の良し悪しは関係ない。今まで生きてきた処世術のようなものだ。職場が変わっても、出来るだけ居心地の良い空間を保つために習得した生き抜き方をボクはここ数年多用している。

笑顔でスルー・相槌で受け流す技術

では、こうやって仮面をかぶっていないと社会は円滑に進んでいかないのだろうか。本当は自分の中でそうではない例がある。

自分が大学生のとき、よく通う喫茶店があった。そこには数人の常連さんがいつも楽しく雑談をしていた。その中にミュージシャンのSさんがいて、彼はよく政治の話をしていた。現状を批判し、悲観的な未来を憂い、こうあるべきという話をよくボクにしてくれていた。

当時の自分はどちらかというと保守的であり、Sさんの意見は正直、賛成できるようなものではなかった。時に意見を戦わせ、自分の意見の反論を彼はしてくれた。

「意見が違って人間的な関係が壊れてしまうなら、結局そこまでの人間関係しか築けなかったということ」

自分は当時、こう考えていた。口には出して言わなかったけれども。

しかしSさんはあるとき、自分を目の前にこう言った。

「意見が違っても、筋が通っていれば『あいつはあいつでそういうヤツだから』って、それなりに認め合える関係になるんじゃないかな」

自分はこの言葉を今でも胸に刻んでいる。そしてSさんとは数少ないそういう関係だと思う。

お互いがこういう考えであれば、きっと同じような関係が築けるはず。







福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》