「中間」が「最終」になる日

僕は知っている。いや、僕らは知っているよ。それが「中間」ではなく「最終」になるということを。


最近、福島県の大熊町に広がる広大な放射性物質の中間貯蔵施設で事故が起こった。


以下ニュースの文面である。

環境省や県によりますと、2月4日正午前、中間貯蔵施設の敷地内の双葉町郡山で、64歳の女性が伐採された木の下敷きになっているのを別の作業員が見つけ、警察や消防に通報しました。
女性は病院に搬送されましたが、その後、死亡しました。
女性は工事を受注したJVの下請け会社の作業員で、廃棄物を一時的に保管する場所を整備するため、数人のグループで山林の木を伐採する作業を行っていたということです。



これで中間貯蔵施設関連の作業は一時中断になるだろう。環境省管轄の業務はストップし、「安全会議」を開いて再開となる見通し。

ダンプの運転手と話す機会があったので少し話を聞いた。

「あそこの仕事が止まると、ちょっとキツイな。早く再開してくれればいいんだけど」

「そうですよね。中間貯蔵施設が完成しないと県内の汚染土が集約できないですからね」

自分が話を合わせると、

「何言ってんだ。中間じゃなくて、あそこが最終だよ。最終保管所だ」

「えっ、そうなんですか。」

「決まってるだろ。わざわざ人のいない大熊に貯蔵施設創ったんだ。後になってそれを人のいる地域になんか運べないだろ。どこがそんな施設を受け入れるんだ。あそこが最終だよ」

「……そうですよね」

「だから俺らの仕事もあと2年くらいかな。他の仕事も探さないとな」


彼は笑顔でそう答えた。まるで覚悟を決めているかのように。


僕らはもう知っている。その行く先が他にはないことを。後は誰がその宣告をするかだ。きっと先延ばしにするだろう。もう一般人も見抜いているよ。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》