あの日から13年。そして今の大熊町
空間線量が高いため、いまだに立ち入り制限がかけられている場所がある。私は許可をもらい、そこを覗いてきた。
2011年3月11日
あの忌々しい日が至る所からその姿を出す。
11日は卒業式で金曜日。翌週の予定が書きこまれている。
荒れ果てた校庭に朽ち果てたゴールポストがひょっこりと顔を出している。もはやグラウンドの面影はない。ただ、雑草の枯れ草で時間という毛布をかぶった様子。
2024年2月に初めての一次立ち入りがあったため、きれいに片付いてはいるが、注目してほしいのは下駄箱だ。そのほとんどが下足が残されている。津波が来るため、上履きのままで逃げたのだろう。結果としてここには津波は到達していなかったようだ。
ここの時計はあの日から止まったまま……。
そしてあの時の記憶はここで残酷なまでに蘇る。
ボクらは今、復興の光を背に浴びて、生きている。
しかし、その影は今もなお鈍重な雲になってずっしりと上から降ってくるのだ。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》