金ピカ先生から考える「時代」

金ピカ先生が孤独死した……そんなニュースが少し前に流れた。私は彼を知らない。有名な予備校講師だったそうだ。あの受験過熱の時代、まさにカリスマとなっていた数々の予備校講師たち。どれも微かに覚えている。キャラが濃すぎるため、忘れたくても忘れられない。自分は田舎で少年時代を満喫していたので、彼らの授業は受けたことがなかった。だが、CMや特集番組などで取り上げられると、「なんだ、この派手な人たちは……」と訝しげに眺めたものだ。

時代は流れ、オンライン授業の東進ハイスクールが台頭してきた。

かつて模試の河合、講師の代ゼミと言われたような個性豊かな先生方は散り散りになった。廃業した人、引き抜かれた人、そして、過去の残像にしがみつき思い出の檻から抜け出せなくなってしまった人……予備校講師なんてものはそんなものだ。一寸先は闇。安定とは対極の綱渡り人生そのものだ。

晩年、金ピカ先生は生活保護を受けコンビニで買ってきたワンカップを飲みながら取材を受けた。




見る影もない金ピカ先生は言った。

「早く死にたい。」

彼は時代の流れに対応して自分を変えられなかったのだ。人気絶頂時は年収二億を叩きだした彼は最早思い出にすがりながら生きるしかなかった。いや、正確には死を待つしかなかったとでも言うべきだろうか。奥さんには出ていかれ、彼を守ってくれる人は誰もいない。

彼の死を伝える寂しいニュースが流れ込んできたとき、心のなかにぽっかりと穴が空いたかのような気持ちになった。

確かにインターネット社会になり、すべてが人差し指ひとつで動かせる時代が来ているのかもしれない。金ピカ先生のようにべらぼうで破天荒な先生の影響を受けることなく、もっと合理的でsystematicな授業をオンラインで見ることができる時代になった。

しかし、そんな便利な世の中になったときもう一度思い出さないといけないのは「人間力」である。彼のようなカリスマ性に何千人もの受験生が引き寄せられ、机に向かった。彼の言葉を格言として、心に刻みながら長く辛い受験戦争を勝ち抜いた人、惜しくも破れた人、どちらも心の支えになったのはカリスマ的な彼が勇気づけてくれたからだ。そして、亡くなった今でも、彼らの心のなかに金ピカ先生は生きている。

デジタル化された昨今、確かに便利な世の中になった。今のうちはその恩恵を享受して、満足する日々が続くだろう。しかし、やがてデジタルが閉塞し、利便性に変わる新たな価値観が求められるようになったとき、求められてくるのは「生きた生身の魅力」なのではないだろうか。

電子の中にはない呼吸した魅力を我々が再び「生きた生身の魅力」を渇望する時代が、実は案外近くまで来ているのかもしれない。



追記
金ピカ先生の「もう死にたい。」この気持ちは今の自分も共感するところである。本当に強くそう考えてしまうことがある。震災もそうだが、時代が速く流れすぎて、自分が一人になってしまったこともあるだろう。もう少し生きるのだろうが、さほど「生」に執着はないのだ。思い出の檻の中にいるのもあの世にいるのもさほど変わりながないのだ。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》