ドカ食いドラゴン部

 病弱な女の子がドラゴンに変身して美味いモン食いまくる話。

※当記事を転載した場合、1記事につき500万円を著作者であるFakeZarathustraに支払うと同意したものとします。

 私は生まれつき身体のあちこちが悪くて、産まれた時なんて生きて一年と言われたぐらいだ。
 手術と入院が私の人生で、まともに学校に通えたのは、小中通算して二十日ないぐらいだろう。
 尤も、病弱な私を酷く扱う人はいなかったし、そんな自分を自分で卑屈にするのも嫌だった。

 そんな私には一つだけ夢がある。好きなご飯を好きなだけ食べるということだ。
 両親も栄養士の先生も沢山工夫をしてくれたけど、私は基本流動食で消化の悪いものは食べた事がない。
 熱いものも冷たいものも、味の濃いものも、辛いものも、酸っぱいものも、甘いものも。
 私の人生で味の強いものといえば、お薬の糖衣か苦い粉薬ぐらいだ。それさえも私には嬉しい味覚ではあったけど。

 病床でグルメ番組を見るのは好きだし、ジャンクフードを食べる配信者の動画も憧れた。
 大人になったらお酒も飲んでみたい――大人になれるかどうか分からないけど。

 大きくなれば、少しでも大きくなれば少しでも普通の生活に近づけると思い込むようにして、私は治療を頑張り、味気のない流動食に文句を言わず、ただただ病気と闘うことに専念した。
 勉強をする時間は短いから、大人になったら困るだろうと思っていた。
 大人になれるかどうか怪しいのにそんな心配など二の次だった。
 いつか、いつかラーメンと餃子を食べてビールを飲む。
 女の子がそんなことを言うなと笑われるが、それが私の叶えてみたい夢だった。

 結局、中学校の卒業式に出席できなかったし、高校も入学を果たせなかったが、私はまだ生きている。
 それからは一人で静かに闘病して、何処にも出掛ける事もなく、子供らしい遊びも若者らしい青春もなく二十歳が近付いた。
 私の人生の目標はラーメンと餃子とビールだけど、しかし表向きポジティブな目標も必要だ。
 なので私は高卒認定試験を受けることにした。
 十八歳から年二回毎年受けていて、なかなか合格しなかった。
 そして、私は十九歳の夏、もう少しで二十歳と言う所でその合格通知を受け取った。
 私は小躍りした。躍る程の体力もないけど。
 でも、私は生まれて初めて何かしらを成し遂げたのだ。
 こんなに嬉しい事はない。

 大学のことはさておき、私はこれで、ラーメンと餃子とビールの資格が手に入ったような気がした。
 それだけで人生が何か変わったような気がした。
 今手元に、当時の写真がある。
 合格通知と一緒に、細くてチビで顔の青い女が写っている。
 懐かしい。
 それが私が人間であった時の最後の写真だからだ。

 私はその日の夜、なんだか胸騒ぎのする夢を見た。
 世に言う"気がかりな夢"と言うヤツだった。
 何かに深く深く落ちていく。
 でもそれは気持ち良くて、温かくて、今までにないほど痛みも苦しみもない世界へと落ちていく夢だった。

 実際のところ、私は一ヶ月余り昏睡状態だったそうだ。
 ただ、臨死体験的な記憶はない。

 ただただゆっくりと落ちていく夢。
 そして私は手を伸ばす。
 山盛りの野菜とギトギトの油とニンニク、厚切りチャーシューが盛られた大きなどんぶりのラーメン。
 焼きたてでパリパリの餃子と、赤黒くなったラー油とタレ。
 もの凄く大きなジョッキのビールと真っ白な泡。
 縦か横か分からないほどの分厚く肉汁滴るステーキ、煙立つ網の上で美味しく焼かれ姿の変わっていく焼肉。
 綺麗に並んだ刺身盛り、キラキラのお寿司。取れたての生牡蛎、レアぐらいに火の通ったカニの足。
 鶏のいろんな部位の並んだ焼き鳥の数々。
 カラフルな色のきらめくカクテル。
 塩を舐めてライムを囓ってから飲むテキーラ。
 お洒落なバーで傾けるウィスキーの入ったグラス。
 コンビニで雑に買ったスナック菓子とストロング系。
 アイスクリームの載った、蜂蜜滴るふわふわのパンケーキ。
 色とりどりの山盛りフルーツ。
 そんなものはいつだって食べられるはずだ。筈だったのだ。健康なら。
 届かない。絶対に食べる事が出来ない。
 食べたら死ぬんじゃない。きっと咀嚼する事も飲み下すことも出来ないだろう。
 ごめんね私。
 もう、この身体は無理なんだ。

 気付いた時、私はドラゴンだった。
 夢で誰かに誘われたとか、何かを強く望んだと言うこともない。
 ただただ想像上のご馳走に手を伸ばしただけだった。

 種明かしは特別な治療法だった。
 ある種のトカゲの遺伝子が、人間の身体の悪いところを全部代用してくれると言う便利な遺伝子治療だ。
 もっと詳しく、もっと正確な表現があるだろうが、私にはそれで十分だった。

 体調は頗る快調。
 フィジカル面でこれ以上ないほどの強さを感じる。
 身長も体重もずっと増えている。
 胸も大きく成長している。
 ただ、私の姿はトカゲでありドラゴンだ。
 皮膚は薄い青色。目の細かい鱗と大きな鱗が身体の部位ごとに違っている。でも人間の皮膚らしいところは一つも残ってない。
 口先は伸びていてとても人間の顔とは思えない。
 眼球はトカゲのように金色で、瞳孔が細長い。
 舌は鮮やかな青色で人間比で倍ぐらい伸びる。
 牙が目立つけど、奥には臼歯があるようだ。
 背中に飾り程度の翼がある。どうも飛べそうにはないけど。
 頭には二本の角。大きな目は怖いよりも可愛い。
 身長は170ぐらい。身体はスリムだが胸はあって、尻尾は太くて長い。
 あぁ、完璧な身体を手に入れた。
 何でも食べられそうな気がする。
 医者から暫く検査すれば退院できるだろうと言われた。

 医療界では大変な事件らしくて、色んな病院の先生が訪れた。
 国内どころか外国人も多い。喋っているのが英語だけじゃないのも凄い。
 こんなに沢山の人から注目されるのか!

 そうしてやっと退院だ。
 今まで両親に迷惑を掛けた分、しっかり働いて返さないと!

 その前に……メシだ。メシを食いたい。
 私は昏睡している間に二十歳を超えていた。
 両親は心配そうな顔つきで「何が食べたい?」と聞かれた。
 そりゃぁもう。

 ラーメン、餃子、ジョッキビール!

 両親は戸惑いながらも近所の中華料理屋に入った。
 近所の人気店だそうだ。
 両親も闘病生活で満足に美味いモノを食ってないと言っている。
 やっと初めて家族でご飯を食べられる! 同じモノを食べられる!

 本能的に「旨い」と言う臭いが充満している。
 壁に並ぶオススメメニュー。赤いテーブル。賑やかな店内。騒がしい厨房。
 目に入るもの、耳に入るもの。全てが美味しそうだ。
 これは夢か? そんなことを思ってしまう。

 席に通されて注文する。
 お腹が減っている。幾らでも食べられそうだ。
「チャーシュー麺大盛り、餃子二皿、炒飯、大ジョッキのビール!」
 両親も量は控えめだが同じモノを頼んだ。
 両親は私が産まれる前はお酒を嗜む人だったらしいが、私が産まれてからはお酒を断っていたそうだ。私の病状がいつ変わって、いつ総合病院まで車を飛ばす必要があるか分からなかったからだ。

 私は嬉しくて、食べるもの食べるもの全て写真を撮っている。
 醤油豚骨のラーメン、羽根の付いたひとかたまりの餃子、ニンニクがゴロゴロしてる炒飯、見たことない大きさのグラスに注がれた黄金色の液体。
 私は全部揃うと乾杯だ。

「かんぱーい!」
 私だけがハイテンションだけど、両親は「こうして一緒に酒が飲めるなんて」としんみりしている。
 これから幾らでも食べられるからね!
「父さんの胃袋がもつかな?」
 一家で大笑いする。

 ラーメンを啜り、餃子を口に放り込み、ビールで流し込む。
 舌が今までにないほどの味覚に驚き、胃が満たされていき、そして酔うと言う感覚に笑う。
 これが、これが夢にまで見た現実!
 嬉しくて泣きそうだ。
 泣いては掻き込み、掻き込んでは泣く。
 そしてビールを飲んで笑う。

 こんなに嬉しいモノだったのか。
 食べるとはこんなに嬉しいことなのか?
 こんな幸福のためならば、私は幾らでも頑張れる。
 頑張ろう。
 頑張って働いて、両親と一緒に美味しいものを食べよう!

 と、思ったのだけど、仕事が見つからない。
 病院しか社会を知らない人間、高卒程度のアタマ、特技もなく、運動能力は未知数。そしてドラゴンだ。
 女だから、学歴がどうだから、障害だから、性的自認がどうだから、会社が人を断る理由は沢山あるが、どれも話題になれば怒られる。だからみんな適当な理由を付ける。
 でもドラゴンは私だけだ。だから「ドラゴンだからダメ」は差別にならない。差別と言われない。
「貴方だって望んでその身体になったんでしょ?」
 そう言われるばかりだ。
 好き好んでこの姿になった訳ではないが、しかしこの身体は気に入っている。それを理由に馬鹿にされるのは釈然としない。

 話は変わるが、私とインターネットの関わりは深い。ベッドで出来るのはインターネットと動画視聴、読書ぐらいだからだ。
 どれも自分では決して体験できない未来を示してくれる苦しくも希望に満ちたツールだった。
 だから楽しい世界、美しい世界を見せてくれる人は大好きだった。
 一方、闘病記や病気の現実を知って欲しい、私は苦しんでいても生きていますみたいな記事は見下しているところすらあった。
 貴方はそれでもパートナーがいるじゃないか、貴方はそれでも仕事をしてるじゃないか、貴方はそれでも好きなものを食べられているじゃないか!
 そんな気持ちにしかならなかったからだ。
 それを僻みだとか闇だとか幾らでも言って貰ってもいいが、そんなことは一ミリも面白くないし、勉強にもならなかった。

 と、言う事情で、私が私の境遇をネットで曝すと言う気持ちはなかった。
 だけど、今まで食べたものが積み上がる。
 そんなにビールが好きならと、翌日には焼肉屋に連れて行ってもらったし、翌日はピザを食べた。
 何でも美味しいし、何でも幸せになれる。
 その時の写真が積み上がる。
 何となしに今までの流動食と今日食べたものの写真を並べてSNSにアップロードした――冷静に考えればそれは闘病記の類なのだけど。

 病気の事は語らない、ただただ馬鹿な女のつまんないSNSにフォロワーなど殆どいない。フォローしているのはフォロバ100%の配信者ぐらいだ。
 そのポストは、幾人かの配信者の目に留まった。
 私のフォロワーなんて三十人程度なのに、それがフォロワー一万人以上の配信者にコメント付きで紹介されたらどうなるだろうか?

 ドラゴンが世の中に存在するというのはニュースになってたし、無遠慮な人間の無断撮影にも遭っていて腹を立てていたけど、医療倫理的に私が晒し者になることはなかった。
 だから、そのニュースのドラゴンの過去の惨状を知ってしまったら、世の中は同情と応援へと変わる。

 自撮りは一切してこなかったが、この爆発的な反応に頭がバグってしまって、"あの時"の写真と同時に缶ビールを握っている私の写真を投稿した。
 フォロワーが信じられない勢いで増えていく。
 馬鹿にした発言を無視するにしても、大量の応援コメントが来る。
 仕事に困っていると知ると、さる配信者の事務所からお声が掛かる。
「ただただ嬉しそうに飲み食いしているだけでいいから」
 と。

 食べるのがお仕事になるだなんて信じられなかったが、私にはそれを疑うだけの社会性もなかった。
 勿論、その事務所は今でも私を支えてくれる。結果を知れば正解を選んだわけだけど、今になって考えると結構怖いことだ。

 最初の仕事から企業案件だった。
 さるコンビニで増量キャンペーンをやるので、それを食べる配信をして欲しいと言うことだ。
 事務所の会議室に通される。
「私、無茶苦茶食いますよ」
 と笑うと、「じゃぁ、通常サイズも食べて貰います」と目の前に弁当だのパンだのお菓子だのが積み上げられた。
 PBのジュースや酎ハイ、ビールも用意してある。

 先ず最初に手を付けたのが豚カツの弁当だ。
 レギュラーサイズをしれっと食べた後に、通常の1.5倍のサイズの弁当に手を付ける。
 カツもレギュラーサイズよりもデカくて食い応えがある。
 嬉しくなってついつい饒舌に語る。

 それを食べたら爆弾おにぎり。
 通常サイズもでかいけど、キャンペーン商品は二倍ぐらいある。
 弁当の後におにぎり三つ分かよとコメントが入るけど、「全然余裕」と言ってぱくつく。
 中の具材がいくらと漬けまぐろというのもいい。
 旨い。
 笑顔のまま一気に食べてしまう。

 PBのビールも発泡酒ではなくて、きちんとビールだ。
 麦の香りもするし、のどごしもずっとよい。
 うまー! と笑いながら、PBのポテチも手を付ける。
 こっちも容量倍増なので、二つ並べて紹介する。
「これで同額ってヤバない?」
 完全に配信のノリだが、配信だから許してくれる。

 500mlビール二本とポテチを食べきると、酎ハイを飲みつつでっかいシュークリーム。通常の1.5倍を食べてく。
 クリームをむっちゃこぼしながら食べたものだから「あらあら」と言うコメントが流れまくる。
「私、シュークリーム初めて食べたから」
 と言うと、「またまたぁ」と笑われた。
「いや、ガチだから」
 と真剣な顔をすると「お……おぅ」と言われる始末だ。

 そしてフルーツサンドも1.5倍だ。
 フルーツの切りの厚みも倍近い。
 クリームもたっぷりで食べていて楽しい。
 大満足でペロリと食べて、紅茶割の梅酒で流し込む。

 世の中には機嫌良くご飯を食べている映像だけで嬉しくなる人がいる。
 かつての自分がそうだったように。

「次は何処で食べさせてくれるんですか?」
 スタッフにおねだりをすると、「焼肉食べ放題です」と言われた。
 配信のチャットも大盛り上がりだし、私も本当に小躍りした。
「いつですか? 明日ですか!?」

 SNSでは「#いっぱい食べる君が好き」と言うハッシュタグでファンアートが流れてくる。
 企業案件は多い。
 焼肉、回転寿司、ファミレス、コンビニ、チェーン系のラーメン屋や居酒屋、地方のアンテナショップ、フードデリバリー、日本酒祭り、ビールフェス、新作ワインの解禁……
 飲み食いのあるところに私との案件がある。
 旨そうに食うのだけは出来る――否、何を食っても旨い。

 事務所は商売上手なのか、「私に飯を奢る権利」の販売まで開始した。
 案件に出来るほどお金がなくても、ネット上で宣伝したいお店がこぞって応募した。
 ただ、そうもなると今までにないようなお店にも遭遇する。

 高そうなお店、そこいらのチェーンでは味わえないような料理なんて言う予想以上のお店もあれば、正直あんまり美味しくない店もあった。

 奢る権利はナマ配信でやったので、私があからさまに旨そうな顔をしないと、「察し」と言われてしまった。
 ただ、事務所の方は「君はそのままでいいから」と笑ってくれる。
 店主だオーナーでガチギレする人もいるそうだが、事務所の人が庇ってくれる。
「我々は奢る権利を販売してるだけです」
 と。

 さて、奢る権利は何もご飯屋さんだけが買うものではなかった。
 自分のオススメの店に連れて行ってご飯を一緒に食べるなんて事もしてくれる。
 こちらの方は外れである可能性が殆どなかった。
 私が目の前でご飯をもさもさ食べてるだけで、そんなに立派な会話をしたわけではない、でも「目の前で笑顔でいる君がいるだけでご飯が美味しくなるから」と言ってくれる。
 男性のお客さんが多いけど、お年寄りや障害者などの「一緒に食べてくれるだけで嬉しい」「思い出の店で誰かと食べられるだけで楽しい」と言ってくれる人もいた。

 私ははたと気付く。
 病気の子供と一緒に食べようと。
 完全なボランティアだけど、患者と同じモノを一緒に美味しそうに食べる。それだけで喜んでくれる人が沢山いたのだ。
 私の胃袋はとてもとても大きいから、一回行くだけでも、何人ともご飯が食べられた。
 小さい子やお年寄り。心の弱い人。色んな人と一緒に食べて、色んな話をした。

 私の闘病の記憶は役に立った。
 彼ら彼女らに本気で共感できた。
 食べ物も遊びも勉強も友達を作る事さえ我慢させられる――それも周囲を心配させないように望んでいるような顔をするしかない。
 その苦しみを吐露すれば、誰も自分を許してくれないだろうという本能的な恐怖がある。
 だから機嫌良くするしかない。それが痛いほど分かる。
 ご飯の時、泣き出す子供もいる。二人っきりだから泣いていいんだよと言う。
 弱音を吐いたっていいんだからねと。

 配信者としてもボランティアとしても、活動は続いていく。
 近頃は「栄養が胸に行ってるんじゃないか?」と言われる。
 身長も少し伸びた。
 胃袋に衰えはない。
 何を食べても美味しい。
 お酒をどれほど飲んでも二日酔いにならないっぽい。
 全てが完璧だ。ただの穀潰しだけど。
 でも、その穀潰しを愛してくれる人がいる。

 元気になったとお便りをくれる人もいるし、最後のいい思い出になったと家族の人から連絡が入る事もある。
 リピートで一緒にご飯を食べてくれる人もいる。

 自分は自分の身体を捨てた分際だが、それでも医療に救われた。ご飯にも救われた。
 だから、私はできる事をする。それはただただご飯を美味しそうに食べるだけのことだけど。
 それが恩返しになるなら、人の為になるなら、今日もお腹一杯食べるよ!

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